もえもえきゅんが流行った頃、
私は秋葉原を、駆け抜ける日々を送っていました。
青春時代と、苦労時代は秋葉原にたくさんこぼしてきました、
カンザキサツキです。
秋葉原のメイドブームが始まる少し前から、
いつも一緒に遊んでたお姉さんたちのお友達がメイドさんだったりしたのでよく遊びに行っていました。
当時はチャージ料のない、普通の喫茶店スタイルのお店もあり、行き渡った接客。
私はそこが好きでした。
いざ、応募するにも当時は16-18歳が募集要項のところは少なく、
遅い店舗でも22時閉店。
夜と雨の日の秋葉原には人がいなくなります。
超有名店の時給は研修期間750円〜
交通費込みやいいところだなーと思うのは500円まで支給など。
それでも150倍や300倍の倍率の店があったりとすごい時代でしたね。
(今だとありえない世界だと思います)
もちろんたくさん書類で落ちました。
はじめて最終面接にこぎつけたのは、
秋葉原の外れにある、オープンしたてのメイドカフェ。
珍しい、いわゆる喫茶店のマスターがいる美味しいコーヒーのあるお店でした。
(他のフードはリニューアルオープンで店長がやってくるまでレンジでチンばかりのお店w)
私が言い渡されたのは、補欠採用。
土日の人のたりない時間だけの補欠。
主にメインでない我々は交代で外でのチラシ配り。
(真冬でも当時はアウター禁止の半袖ミニスカ)
洗い物とビールサーバー使用と掃除。
採用理由は、居酒屋勤務経験があるからビールサーバーが使える、
飲食店のホール、キッチンの業務がそつなくこなせる。
それだけでした。
どうしても表(店内)回らない時だけしかお客様の前に出ない人。
当時、主な仕事は地元の小児科の看護助手でした。
その勤務のない日、なおかつ人が足りない時、のたまにいる人。
リニューアルオープンが店舗オープンから5か月もしないうちに始まり、
1か月ほど休業期間がありました。その時大きな変化がありました。
新しい店長と、メイド長(メイドのとりまとめをするメイドのボス)から言い渡されたのは、
サブリーダー(アルバイトリーダーのいない日はリーダー)
でした。
「洗い場もしながらホールも見れる人だから店が円滑に回る」
と、いう嬉しい言葉といっしょに、
働いていた店ではリーダー職にしか与えられないルールのバラのコサージュを
メイド長からカチューシャにつけてもらいました。
気が付けばメイドブーム真っ盛りになり、GWやお盆、
忙しく本業がお休みの期間は毎日、毎日、
オープンからラストまで一切チラシ配りもいけないほどの混雑、
ホール業務、キッチン業務やに追われ、休憩を取るのもやっと!
店をやめる日は「卒業イベント」と称した
最後の出勤日があるのですが、
最後の最後まで推してくれる(言ってしまえばファン)ご主人様が一切いない中、
ほかのメイドが推しにも関わらず常連のお客様(ご主人様)たちがたくさん来てくださり、後輩メイドたちにも囲まれたとても幸せな最後を迎えることができました。
(結局すぐまた別の店でメイド始めるわけなんですけどね…それはまた後日)
補欠なんて誰の目にも触れないような雑用ばかりで正直イヤな日もありました。
寒い日も暑い日も笑顔でチラシを配り、怖い目にあったこともあります。
(おもしろいこともたくさんあったのでそれは今度書こうとおもいます。)
店が込めばダッシュで帰り、涼しい顔で提供し、終われば洗い物。
華やかに見えるメイドカフェの裏の仕事ばかりしていました。
仕事で認められ、気が付けばお店に欠かせない存在になり、
ポジションが与えられることもあるんだと、
高校を出たばかりの年齢で気づくことができた事は、
人生の糧になったと感謝ばかりです。
正直10代の頃の私は、すでにまあまあ性格がひん曲がっていたので、
ニコニコ楽しそうに話すだけでいい人気メイドさんたちは手が荒れなくていいなと思っていました。
私と仲の良かったほぼ同期のメイドとはいつも慰めあってましたね。
「私たちがチラシ配ってウエイト(待ち)2時間にしてる!」
「いつかきっと私たちもずっとホール(店内)にいれる日くるよね!」
「見てくれてる人はきっといるよ!」
一生懸命仕事をすれば、仕事内容で認めてもらえる。
とは、大人になりすぎた私は言い難いところはあります。
そんなに大人の社会はきれいごとで済むはないものです。
しかし、頑張らないで文句を垂れる人と、
そうでない人って全然違うとおもうんですよね。
頑張っても頑張っても差別的で理不尽な理由で認められなかった経験もあります。
(時代錯誤すぎるそれもまた今度書こうとおもいます)
でも頑張った結果、知恵や技術がついたりもするわけで、すべてが無駄になるなんてことは絶対ないと思います。
メイドカフェで働いてなかったら、きっと今の私は自撮りもあげなければ、
そもそもブログなんてやってないわけです。
秋葉原で働いているときにブログを始めたのがきっかけです。
読んでくださってるみなさまありがとうございます!
何かにきっとつながってると信じて、今取り組んでることをがんばるという姿勢に
向けてくれた、秋葉原の小さなお店に、かかわってくれたすべての人に
今でもずっと感謝の気持ちでいっぱいです。
かけがえのない時間、成長する場所を与えてくれたこと
本当にありがとうございました。
秋葉原駅から徒歩10分近くかかる一駅先の距離なのに2時間オーバーの待ちになるまでチラシを配ったメイドの私はごくごく一部で伝説だったみたいで、
別のメイドカフェからスカウトされ働くことになった話もいつか書ければいいなーと思ってます。
※秋葉原のメイドカフェのチラシ配りについては、警察に道路使用許可願を提出し許可をもらった場所、時間、期間のみ配布が可能でした。
また、許可されている場合でも混雑やトラブルがあった場合は指示の元やめないといけないなど、しっかりルールがありました。
許可をとっていない店舗も非常に多い記憶があります。このあたりのルールなどは一部変更になっているかと思います。(場所なども含みます)
また、危ない怪しい客引きの話もたまに聞きますので、気を付けましょう!配布しているメイドさんたちも、しっかり店舗が許可をとっているかの確認もお忘れなく!
メイドカフェ時代スカウトされた話は