だいぶと過去の話です、
高校生の頃に大阪から単身千葉県に引っ越してから
5年以上行方をくらまして生きていました。
カンザキサツキです。
何度か家を借りるまでの家で期間、確保されましたが、
無事に関東で家を借り、高校も全日制にも関わらず通学せず卒業させてもらい、
女手ひとつで育ててもらってるのに散々の親不孝の上、
すべての連絡を絶っていた時の出来事をふと思い出しました。
「あんたなにやってるん?秋葉原で働いてるん!?」
運悪く深夜番組に出てしまったときのそれを姉に見られて発見されてしまいました。
この当時のお店じゃないときですが、まあ秋葉原にいましたよね。
そのあとのやむを得ない帰還まで特に回収されることなく暮らしていました。
我が家は皆オタクにかかわらず、コスプレはもちろん、
生足を晒すなんて子供の頃許されず、制服も校則通り。
門限17時。
お友達はこの子となら遊んでいいよ的なそれ。
それを言い返せる強さもなく、逃げるしかできなかった自分の弱さを今でも嫌悪することが多いです。
未だに水着でグラドルとしてテレビにでたのこと言えず、
コスプレしてることも言えず、なんかそういう過去があったことも言えず
そういうことしてるのを知っているのは、姉ひとりだけです。
ええ、墓場までもっていきます。
過去のあれそれのデータも残っていたり動画サイトなどでもまだ転載が残っていたりするので、
まあ見られることはないだろうと思ってはいますがちょっとビクビクしてるのは内緒です。
隠し事はよくないと思いますが、
それでも家族が悲しむことをしてきたと理解しているので
言う必要がないものだから一生言わず過ごそうと思っています。
ちなみにもし、これから行方不明になろうとしてる人がもしいたとしたら、
・テレビに出て(映って)はいけない
・SNSは顔出さなくてもバレるときゃバレる
(自分のときはSNSはないもののブログというものはすでにありましたから見つかってから見られてました、つらいwww)
・携帯電話を持たない
がオススメだと思いますが、残される人は張り裂けそうなほど辛いそうです。
今でもたまに「あのときは・・・」と言われると
申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
「あんたのことは死んだとおもってた」
と言った母の顔をぼくは一生忘れることはないですし、
そういう顔をさせて辛い思いをさせてきたことに、
何よりそう思わせてしまってたことに反省しつづけなければなりません。
当時、ぼくを想ってくれての必死のあまりの行動だと思えるだけ
なんとかごっくんと呑み込める年齢になりました。
母の心子知らずと恥ずかしいものですが、
自由の無い毎日は非常につらかった故の行動だったかもと思います。
もちろん母にその時のことなど言うつもりもありません。
今も変わらず、母はバリバリ働いて、休むことをしてくれません。
自分が養えるほどの賃金もなく
「定年退職までがんばらなくていいよ」
と言ってやれるほどのものはありません・・・。
早く人として一人前になって、母の背中を追いかけて
母のように強く信念をもって、きっちり生きていける人間になりたいと思えるようになったから、
一旦行方不明にはなりましたが、家を出て外の世界を見て、
少しだけ大人になってよかったのかなと少しだけ思うカンザキでした。