前回こちらのブログで、秋葉原で働いていたことを書いています。
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その際に別のメイドカフェからスカウトされた、ということを触れていました。
今はどうかわかりませんが、ぼくが働いていたころは、
基本同業のかけもちNGの店が多かったのです。
ぼくの働いてた店はぼくはだめで、いわゆる上の人のお気に入りの子はかけもちOKの子もいました。
・・・そういうのよくないと思う。
今でも根に持ってるブサイクと言われてた人(しってた)
カンザキサツキです。
寝ても覚めてもメイドだけで生活してた半年ほど、
メインのお店にはいい顔をされないまま、
週一ぐらいの短時間かけもちをしていました。
基本的にかけもち先はチラシ配り人員でしたけどね!
(チラシは買い取りシステムのグループ店もない時代ですが、当時から大通りから1本入った店や立地が悪い店は許可証をとってほかの店舗となんとなく場所を譲り合ってチラシ配りをしていました。)
メインで働いてた元々補欠合格だった店でチラシ配りの担当をしているときに、
そこの店の店長の目についてたようでしばらくしてから声かけてもらったんです。
個性的な制服だったからすぐどこの店かわかったのでしょう。
ぼくにとってチラシ配りは辛いものではなく、
雨の日や雪の日と真夏の日中以外は楽しいもの。
(当時は雪でも半袖ミニスカのメイド服でチラシを配っていました)
道路使用許可証片手に携帯をエプロンで挟み、
若干の怖い思いに半泣きで猛ダッシュで店に逃げ帰るも当たり前の日々でしたが、
わしが店の顔!として立ってると思うと、
自然とニコニコできた心の綺麗な時代があったんです。
そのニコニコでスカウトされたのですが、
まさかさまざまなメイドカフェに採用されなかった自分が!
と思いながら、とりあえずの面接とらとりあえずのホールの一連の仕事の流れも教わりました。
店が違うと全然勝手が違います。
紅茶はおつぎするのか、しないのか。
まぜまぜ(ミルクや砂糖を入れてまぜてあげる)はするのかしないのか。
そもそもがどちらもご主人様お嬢様でない接客重視のお店。
覚えることがたくさんありました。
一生懸命何かに取り組んでいたら、きっと見てくれる人がいると、
高校を出て間もない世間をしらない自分に大人が教えてくれました。
こうしろ、ああしろ、ではなく、そうやって気づかせてくれる、
きっかけをくれる大人が周りに多くいたわけで
(おなじぐらい陥れる大人もいましたが)
自分は、ああ本当に恵まれていたな、と思います。
お外にいるとき、お仕事のとき、
どんなに憂鬱でもニコニコしてようと今でも思うようになりました。
それが相手に対する自分ができる最低限の接遇でありマナーだと理解していたようです。
誰かから評価されたい、褒められたいという若い頃の自分もいましたし、
人間ですからやっぱり褒められて生きていきたい気持ちは今でももちろんあります。
それでも、きっと100人のうちの1人かもしれませんが、
1000人のうち1人かもしれませんが、もっと少ない確率かもしれませんがきっとがむしゃらに頑張っている姿を
見つけてくれる人がいると信じてる。
だから、今日もぼくは心で泣いても絶対顔面は笑顔で生きていこうと思っています。
秋葉原は、ぼくを本当に大きくしてくれました。
かわいい人だけが得をするということも刷り込まれましたが、
それ以上に、仕事に対する姿勢など、たいせつなことをたくさんたくさん教わりました。
世間をしらないどころか舐め腐ってた頃から店舗の管理をすべて取り仕切るところまで、
大きくしてくれた秋葉原という街に感謝しきれないぼくの人生です。
最終的にメイドをやめて何年かしてから、お店を0から作る裏方の人というお仕事に就きました。
それがぼくにとってアキバ最後のお店で、土日だけ人が足りないときだけメイドをしていたのでメイドとしても卒業した店になります。
我が濃い人生一番楽しい時間に関わってくださったみなさまに、
いつも感謝の気持ちで毎日を過ごしているカンザキです。
改めて、育ててくださったみなさまに御礼申し上げます。
これからも何卒ご贔屓によろしくお願いいたしますぞ!!