初めて人を雇用する権限を与えられた時(20歳)は、
本当に頭がお花畑の社会を舐め腐ってた延長でした。
訳がわからず、可愛いから雇用してました。
割と真面目に社会を舐め腐って生きていたから、
自分が醜いからせめて周りは可愛いで固めたかった!
可愛いか可愛くないかで割と采配を決めて生きてました。
一般的にいう可愛くない生き物、
残念王とは儂のことよ!
長年培った管理職を手放した生き物
カンザキサツキです。
いつも間に挟まれて生きているぼくです。
上と下に板挟みマイスターといっても過言でもない我が人生。
この挟まれ方はちょっと嫌いです!ぐらいしか言えないポンコツですがね!
過去、ついほんの数年前まで上司へは、あまりに仕事ができなさすぎて
同じ速度で処理や記憶ができない店舗運営へたくそすぎて、揚げ足を取ってたクズな時代もありました。
そんなぼくがだいぶと成長しました。
部下を褒めてフォローしてのびのび育てていて、
何故上司を褒めてのびのび育てられないのか。
おや?矛盾ですかね?
上司こそ褒めて伸ばさないと、
癇癪を起こしてしまう可能性が濃厚です!
と思うようになりました。(というか本当に前職は上司変わってまじで売上傾いた)
優しい世界!(だと思います)
しかし時には厳しく諭して行かねば、いけない日もあるでしょう。
きっときっと愛情を注げば注ぐだけ良いと思いたいところですが、どうでしょう?
とは言え、いまのぼくには上司も部下もいませんが…。
人はやはりトゲのある言葉では気持ちよく、
すくすく伸びしろをもって育たないと思うのです。
ほうぼうから褒められて伸びていきたいと思っていますが誰も褒めてくれません。
でも社会ってそんなもん。
褒められたいから仕事をしているわけではないですしね。
我々雇用されている人間は、
会社から褒められる=対価(賃金)を貰う
ですが、おかしいな、対価が足りていない気がしています。
等価交換の原則を無視してやしないかい?
気のせいですね!忘れましょう。
いや、やっぱり等価交・・・やめときましょう。
やはり、人はプラスに作用したらプラスに作用するもの。
プラスに作用するような声のかけ方やフォローの仕方は板挟みになってるだけでも相当な気苦労があるかと思います。
いや、せんでええ苦労ばかりだと思います。
その先にはきっと円滑な関係と併せて、部下の成長や上司の成長か、
もしくは失脚があるかもしれません。(ぼくの場合上司が失脚しました)
上司部下に関わらず、それはお友達の関係でも家族の関係でも、
人のいいところに気づきそっとやんわりスマートに褒めていける視点を育てていきたいカンザキでした。
そのうちブログに仕事の手法とか書き出す自意識ライジングにならないよう、
併せて読みたいをそっと貼っておきます。
何かしらちょこちょことお金をかけずにできる申請書の作り方などのブログ立ち上げ準備してるのは内緒ですよ。