常に何か物思いにふける人、
だいたい仕事と老後と厨二病全開のくだらないこと考えてます、
カンザキサツキです。
ぼくにできることを最近よく考えてます。
自分の立ち位置、今ある姿、在り方・・・。
ちょろでももう雑誌やメディアに出る人ではありません。
今のぼくは社畜レベルの高めの、田舎への可能性を模索してる人が分相応です。
それでもぼくにしかない「何か」がきっとあると信じでますが見いだせない。
いつも仲良くしてくださる様々な方のおかげで色を付けていただいていると考えています。
ぼくという生き物は本来グレーです。色味が無い生き物です。
特化した能力に「見える」「魅える」のは誰かの色眼鏡であって、
ぼくにとっては当たり前に生きている毎日の繰り返し。
それでいいと思っていますし、そう見えてる人を否定していくほど心が冷たくないし、
褒めてもらえて内心、嬉しいことも多い訳です。
必要とされるために、無理にこの色の色眼鏡かけてもらっていいですか?
で見てもらうための「盛ってみた承認欲求」なんてダサいことしなくてよい。
と思っています。
ただ自分こういう人ですと流してみて興味を示す人がたまたまいました。
ではよいないかな?と思う。
そして常に対「人」にフラットでいることがぼくの美徳だと思ってる。
こんなご時世です。自分が言いたいこと言う、書きたい事書く、が許される。
~した人にアクションを起こすハッシュタグに必死こかなくても、
見てくれてる人は本質を見てくれる、という場所やきっかけが多い時代。
そして仕事だからがんばるのは当たり前の責務。
認めてほしいわけじゃなくて、受けとめてほしいわけじゃなく、
自分が当たり前にやるべくことをやった結果、「ふーん。」
これぐらいが正解だなと思っていく姿勢はずっと変えるつもりはない。
見てくれてる人は見てくれる、見たくないなら見ないようにできる、
そういうのちょっと嬉しい悲しいでいうと、わかりよくて嬉しい。
わざと目に留まるようなことを必死にしていたときの人は去って行くもの。
しんどかった、必死だった、頑張る用に言われた、その時の名残はもうないし、
その時見てくれた人はきっとほぼもういない。
そういうもん、必死こいて繕った安いメッキは剥がれるもの。
ぼくは中身で勝負したい…けど中身も安いメッキかもしれないのは内緒です。
いや、頑張ってない訳じゃなくて、無理して外装はこうです!って頑張ってた時代の話で、
今のほうが自分でいることと、仕事に対して一生懸命に頑張っていると思います。
アンチが増えるほどに思うのは「粘着してくれておおきに」
本当好きね、ぼくのこと!と思います。ブログまでこまごま読んでくれると、
アドセンス的にすごくおいしいの!ありがとう!ごちそうさま!!
という気持ちに感謝の気持ちでいっぱいです。
結果自由にカンザキサツキが生きててそれを好きと言ってくれる人がいるしあわせ。
こんなの好きでいてくれるんですよ?そしてまたお仕事くれるんですよ。
かっこいいと言ってくれるんです・・・。
仕事をもらえるってことはそれは全力投球すること。
待ってくれる人がいて、楽しみにしてくれてる人がいて、
それに全力投球してヘロヘロになるまで駆け抜けるしかできないぼくですが、
そんなぼくのできることは、真剣に一生懸命、当たり前に必死にがんばることしかできない訳で。
そんなぼくのガソリンが減ったときに喝を入れてくださる方々に感謝ばかりです。
なので、ぼくは真剣に考えた結果、やっぱり一生懸命不器用に自分に素直に駆け抜けることしかできません。
こんなぼくですが、「ふーん」ぐらいの温度でこれからもよろしくお願いします。
カンザキサツキでした。
先日、サブログ。(サブブログ)を更新しました。
よかったら読んでやってください。
併せてよんでいただきたい。
ぼくの過去やら、自己欺瞞系でしかないだっさい大人になりました。