サツログ。

独身こじらせ干物でオタク、社畜の狭間で撮られることを仕事にしながら田舎暮らしの夢見人、カンザキサツキ(颯希)の日々徒然とひとり人生の歩み。

相手が見えてる世界で構わないという言葉と自分の心の本質の違いによるふり幅を「憂い」と呼んでいます。

といえば、自分が自己都合に救われる気持ちになる。

撮影会を初めとした自分が「颯希」でいないといけない時は、

相手が望む、相手が見たい魅たいかもしれない自分を探し出すことに必死になる。

実力と能力が足りないからまだ必死に探している。

 

結果正直疲れるし、心のどこかでそうやって必死にあがいてる自分の

からっぽすぎる中身を発見してくれたらという矛盾が生じる。

この現象が昔はしんどくてつらい今日も自意識ライジングでした。

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よく撮影環境において「憂いの量が増した」ということがあります。

憂いは人をアンニュイに見せてくれる大人の魅力値だとよく言ってます。
カンザキサツキです。

 

それでも腹の中は見せない、という思考回路は一生終わらない。

なのに僕を知ってほしいというメンタルがヘラってるような思考回路も止まらない。

とっても気が小さい生き物でしかない自分は一生自分もわからないと思う。

 

颯希でいる時間の作業時間は非常に楽しい。

まだまだ未熟だし未熟のまま終わろうとしている自分の颯希人生。

相手が望む自分に近づけるように、相手が納得してくるふり幅の中に納まれるように、

しっかり見る、探す、見出す、おさまる作業が非常に楽しい。

「あ、これだな」となった瞬間ニヤっと一瞬笑う癖が気持ち悪いので直したい。

そうやって少しずつ未熟ながらもふり幅は増えて「憂い」が増えていくと思ってます。

 

それでもいつか本当のありのままの自分をさらけ出させてくれる見つけてくれる人を探している。

気持ち悪いぐらいにシャッター音でスイッチが入る。

そうして終えた一日の後に経験値の中にまたひとつ「憂い」がたまっていく訳である。

 

割と友人含むカメラを趣味や生業にしている方に仕事以外で練習などで撮ってもらう際に

「ぼくのやりたいようにやりたい」と言っている割に、

「あなたの表情はそうじゃない」的に指定限定されるのは、

きっと上記の作業の成功であり失敗であると思う時があります。

定期的にやはり中身を見つけてほしい矛盾が生じる様子です。

 

極論どんどん憂いを帯びた自分は自分でしか納めることができないのだと思います。

とっても自意識過剰になるしかありませんが、何もない無の自分をおさめておきたいと思う気持ちに反比例してどうにも照れておちゃらけてしまいニコニコしてしまうので、

セルフポートレートと言う名の圧倒的自撮りモンスターになる日に向けて買おうと思う三脚。

これ以上劣化する前に、憂いの中にいる自分の本当の姿というものを自己都合に自己満足におさめておこうと思っています。

 

誰かが喜んでくれたり納得してくれる姿が自分にとって最高の幸せでひとつの達成感は今後も絶対的に変わりませんが、

きっとこの面を外したただのカンザキサツキなど誰にも「刺さらない」のだろうと思ってしまうカンザキでした。

三脚買いだしたら颯希の店じまいの合図。

魅力のある人間に生まれたい人生でした。チャンチャン。 

 

自分がいる撮影会というものについて

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