サツログ。

独身こじらせ干物でオタク、社畜の狭間で撮られることを仕事にしながら田舎暮らしの夢見人、カンザキサツキ(颯希)の日々徒然とひとり人生の歩み。

【好きな人と結婚する人は違う?】ぼくの狭い世界での経験についてお話してみる。

若い頃はわからなかったこと。

好きな人と結婚すると当たり前のように思っていた。

大人になり次第に次第にわかるようになってきた。

自分の生きる狭い世界では、好きな人と結婚したくても叶わないこともあるということ。

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カンザキサツキです。

 

 祖母と母がいなかったら、今頃この世にいなかったかもしれない。

自分は自分から離れて行ったはずの家を継ぐ選択肢と祖母と母の近くにいることを選ぶことにしました。

自分がもしもっと若くて、しがらみが無くて、末っ子でも女の子でも構わないという祖母や親戚の優しさが無ければ叶わなくても飛び出したいきもちがあったのかもしれません。

 

「俺のところに来いよ」

は行けないから叶わないもの。

「じゃあぼくのところに来てよ?え、無理なの?」

それは叶えれないものなのですね。

 

とはいえ、好きな人と一緒になっても現実見えてなくて失敗をした、経験があります。

自分の経験のなさ、未熟さもあります。

嘘に嘘を重ねられてましたが、それを含め人をの本質を見る目も、

裏の中に隠れた核の部分を見極める目もなかった。

もといぼくが浮ついて浮かれていただけで、相手はそうではなかった。

なので双方が良ければ乗り越えられるなんていうことはない。

 

どう頑張っても家は血は家族はふんわりでも割と根っこに付いて纏うもの。

家と家、人と他人のつながりは断ち切れがたいものである。

そして、断ち切るべきでもないと思うようになった。

家の都合とか、そういうのって切っても切れない。

比べていけないものだと、ぼくは思っています。

 

自己都合に俺のところに来いよ、お前が来いよと言う人はダメだと知った。(遅い)

自分を形成してきた人や物事のベースには、名字があり、家族があるわけで、その家族との関係で飛び出さない時もある。

それはぼくだけではなく相手側にも同じことが言える、筈。

全てを包み込め、叶えていくなんてぼくにだって無理だけど、それでも相手の人生や家族に添えるきもちは恋心ではなく、愛情のより深いものであると考えてる。

 

みんなが家族になろう、と言える人はなかなかいないようで、

実際やはりそうではないと聞く。

幸せな結婚生活を送っている友人たちは、お父さんが二人に増えたとか、お母さんが二人になって助かったとか。そう言う子もいる。

しがらみが無くて幸せな人達を見てるとこちらが幸せな気持ちになる。

はたまた、「お前は他人だ」と言う義理の家族に傷ついている子もいる。

 

好きだから一緒にいたいという経験で好きと必死に言い聞かせてすがって

わざと現実から目を背けていた自分がいたから気づけたことである。

相手や、相手の家族までも思いやってくれる愛情のある人と感情論で好きは違う。

だから芯まで染み渡る愛情のある人、愛に溢れてる人と結婚できたらどれだけ幸せなのだろうと思う理想論突きつけ系カンザキでした。

 

まあ、結婚できないんでしょうけどね、こんなスペックじゃ・・・。

 

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