とはいえ、エゴサするほど自分の知名度も人気もない人なんで、
万一調べたとしてもどうしようも何も出てこないでしょう。
勝手に一人打ちひしがれる毎日に余計なカロリーも残っていない
カンザキサツキです。
エゴサ(自分の名前を入れて調べること)してます?とちょこちょこ今更感満載に聞かれます。
「公人でもないのに調べて何か出てくるの?」という言葉を押し殺してる自分がそこにいます。
正直、知名度だとか、相手の悪口を調べてどうするんだろう、はいはいThe other dayですよね?と言う気持ちが溢れてくるのですが、
調べてどうするのですか?マジで聞きたい。
それがGoogleなのか、Twitterなのか、わかりませんが、
何か面白いことを書いてくれている自信なのか、
ぼくのよくわからない「承認欲求」と言うものなのか分かりませんが、
だったらもっとわざわざ調べず反響が直接くるよう、もっと大きな声で何かを発信してみようよ!
と言うと、すごくイヤーな顔をされます・・・。
どうしてわざわざ傷つく方向に進んでいくのか。
本当に褒めてくれる人は本当に直接褒めてくれるし、本当に叱ってくれる、指摘してくれる人も直接言ってくれる。
それはぼくの周りだけの話かもしれないけど、
「これ良かったよ!」とか「また遊ぼう!」とかから、
「このカンザキ良くなかった」「もっとこうした方がいい」
そう言ってくれる人がきっとそばに居てくれる自分が恵まれてるのかもしれないけど、
あなたが信じた道を進んでいくことを勝手に壁になる人なんて見なくていいと思うんだけどな・・・。
あなたの歩く、あなたの人生だもの。
何を言われてもそれが良くてそうやったあなたの選択があなたが正しいと思ったら、良いじゃない?
それが間違ってるかも、心配かも、なら事前に対処すればいいじゃない・・・。
ぼくは誰に何を言われても、ぼくの人生邪魔される筋合いはないし、そんなあなたとは一生仲良くなることはないから、大丈夫です。
という気持ちで生きているので、いつものうのうと生きていますが、
好き勝手に生きてますが、それで自分が満足してたり不満足してるので、楽しく生きてるんだなと思っています。
ただ、できればそういうことを調べるより、いいところを見つけて褒めてくれる人を探す方に特化した方が楽しいのにと思うので、そちらをお勧めしたいと思っています。
それがひとりでも家族以外にいたら、大事にして欲しい気持ち。
貶す人の大体はファンだと言われますが、まずいいところを口に出せない人は、ぼくの人生の中でいい人だった経験はないです。
匿名性の高いネットへの書き込みを書く人も、見て信じる人も、ぼくは同じだと思います。
大事なのは目の前にいる人が自分にどう映るかの本質だと思う。
強いと言われることもありますが、強くないからひとりで生きてる。
傷つくことを本質的に避けているのだと思っていますが、ぼくが笑って生きるために得た術なのでぼくがよければそれで良いと思ってるカンザキでした。
こちらにも似たようなことを書いていました。
こんなぼくでも、応援してくださってる人がいて、その人たちに恥じないように日々生きているつもりです。