大阪にまさか戻るとは思っても見なかった。
しかし、学生の頃と違い歳をとった祖母や母を見て、何も思わないわけもないし
今となっては本当に感謝してもしきれない。
ああ、もちろん虎太郎にも。
カンザキサツキです。
大阪に帰り基本的にあまり人と深く関わりを持たずに生きるようになった。
そして祖母と母のためにまだまだ全然孝行もできていないけど、なるべく優先事項にしているつもり。
それが年々当たり前になり休みの日もなるべく、というように。
それで良かったと思ったり思わなかったりする時がある。
祖母、母を看取る、以外の自分の個人的な展望が、田舎を自分の代で片付けたたむだけなのでそれ以外の夢や希望もない。
基、夢や希望を抱いても打ちひしがれるのが嫌で耐えれなくて抱かないように逃げているだけなのかもしれない。
とても、静かに穏やかに生きることに重きを置いています。
誰かに殴られたり蹴られたりの物理的なダメージリスクも0になりました。
気持ちの上でもなるべく波風のない毎日が良い。
祖母と母と犬がいなくなった世界で生きれる耐性は0
それは間違いなく、間違いがない。
元々自分から率先して何かを起こす興す人ではない人が、更に悪化した結果、きっとぼくがどうなろうと知る由も無い人しかいない世界。
そっと消えるように、迷惑にならないように消え入るように消えていくことが美徳です。
願わなくてもきっと誰も認識しない生き方に徹し始めている。
問題は、葬儀(火葬)と遺品の整理だけである。
この問題だけがいまだに解決しないから、まだ自分で借りている家は荷物に溢れている。
それはきっとまだやりたい事と、世間との繋がりを持っていたい気持ちの現れで、
そして誰かにグイッと引っ張って欲しい気持ちがどこかにあるのかもしれません。
自分の心の望む姿は実際そうで無いのかもしれないし、そうなもかもしれない矛盾にまだ生きているけど、きっと気づいたら本当にひとりぼっちだと思います。
ひとりぼっちで生きる世界は、どうなのだろう。
もしかしたら楽しいかもしれないけど、やっぱり思うのは自分が死んだ後の片付けをどうすれば、という事。
せめて遺品整理代ぐらいは、貯めておかないといけないのかという気持ちに気落ちするから、ひとりでも楽しく生きれる生き甲斐が心から欲しいと思い出しているカンザキでした。
合わせて読んでいただければ嬉しいです。
誰かに何かを言われて傷つくほどの心の広さもありませんのでご了承ください。
まあこの辺が多分一人でいいやと思い出した気持ちが加速したきっかけだと思います。