前にも聞かれて、最近も聞かれるというか、ちょっとだけ上から物申されてる気がする。
「漢字も書けないの?読めないの?なんでひらがななの?」
表現手法は自由だと思っているよ。
「でもぼくの正式名は漢字で虎太郎ですね」
小太郎にしなかった理由は小さすぎた君が強い虎でいて欲しかったからだよ。
愛称は「こた」のチワワとずっと暮らしています
カンザキサツキです。
よく「バカなの?」と言われやすい人です。
ついでいいうと劣等生に仕立ててくれる人が多いです。
きっと多分バカなんだと思います。根本的にスマートに物事考えすぎで、難しくこじらせすぎです。
それに付きます。そう言ってくださる頭がいい人とは違う世界で生きているから安心してね!
ひらがなで書くとふんわり伝わったり、直接的に伝わる勝手な文字もイメージでひらがなで「かく」ことが多いです。
多分それは、ただの感性の問題で、特に意味を成さないのだと思うけど、そういう気持ちでわざと漢字で書かないことが多いです。
結果良く言われるのが「バカなの?」「漢字書ける?」
・・・ごめん書ける、し、多分そこまで頭が悪い系の勉強ができない意味での馬鹿ではないと思ってる。
どちらかと言えば物語より詩集や、短歌、俳句が好きな子供時代を送ってきた。
ありがたいことに、文章を書いたり俳句を詠んだりすると学生時代に賞をもらうことが多かった。
それはとても自信になって、高校生の頃にメルマガを発行するまでになっていた。
だから今もこうやって思うことを文章に下手くそでもまとめていきたいと思うし、これがストレス発散になっています。
言葉が持つ質と、文字が与える印象と、声が伝える温度が合わさった時に幸せを感じるのは人の本能だと思っている。
どれかが、欠けたらもったいなくて、どれかが溢れてたら足りなくて、本当に面白いと思うから言葉遊びを子供の頃にたくさんしてくれた祖父母や母、友人、習い事の先生、
大人になってから接遇やビジネスマナーを教えてくれた先輩、それを学びながら育ててくれたお客様、
関わってくださった人すべてにたくさんの感情を教えてもらってたくさんの幸せをもらった。
悲しい言葉、攻撃的な言葉を吐き出す一定数少ないけどいる人の言葉は今でも突き刺さったまま耳の奥で離れることがない。
言葉ってそういうもので、言葉ってそういうもの。悲しくもなるし、それをずっと引きずるもの。
だから言葉って面白くて、漢字やカタカナ、ひらがな様々用いて表現できるのだから、
ぼくはわざとひらがなを用いたりしますが、バカと思っていただいても結構。
なるべく思っている考えている、感じていることがそれっぽく伝わればいいなというただの自己満足にございます、カンザキでした。
英語に比べて、解釈が難しい日本語が時に鬱陶しくなるけど、
でもやっぱり日本語でよかったなと思っていますぞ。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。