あまり有名でないけど、本当に美味しい岡山銘菓、大手まんぢゅう。
祖父の大好きな、大手まんぢゅう。
必ず田舎の帰りは買うようにしてます。
仏陀に供えて、食べるよね、大手まんぢゅう。
カンザキサツキです。
子供の頃はあんこ、小豆というものが苦手でした。
嫌いを変えてくれたのは大手まんぢゅう。
苦手だけど食べてたから家族もあまり得意じゃないことに気づいてはいなかったですね…。
でも、祖父の病床で食べた大手まんぢゅうが美味しくて食べれるきっかけになりました。
おじいちゃんは人に優しくの人でした。その代わり本当に自分に厳しかった。
前のブログにも書いてますが、本当にそういう人です。
どうにもあまり話しに聞く事なく、それが宿題であっても戦時戦後の話はしてもらえず祖父は亡くなってしまいましたが、人の優しさは財産のような生き方はその優しさがきっとそうされた事のような話を祖母から聞いたことがありますし、祖父からもふわっと聞いたことがあります。
わがままに生きてた自分を改めるように、今頑張ってる最中だけどそれは相手さんが決めること。
ぼくが頑張ってるか頑張ってないかはぼくが決めることではない。
相手の受け取り方だし、それを強制したり強要したりすべきものでもない。
そんなことに欲求する暇あるなら研磨しろと自分に言い聞かせてますが、なかなか、人っていうのは成長しませんな!!
ただ嬉しいことは、処を言わずともおじいちゃんに似てるからその家系のものだとわかってうだけるようになっとこと。
本来ぼくは父方の家の顔だと言われて子供の頃育ってきました。父は運動神経が良くなく、ぼくも同じく良くありません。
母と姉はそっくりでおじいちゃんの家系のいわゆるイケメン系顔で運動神経万能なことも似てて羨ましかった。
それでも、どんくさこちゃんでも、少し努力で補えた気はした。お陰で走ることは学生時代より早いと思う。多分速い。
大手まんぢゅう食べながら思うは、大人になっなぼくをみてほしかったこと、そして思春期にそばにいてほしかったこと。
おじいちゃんがそこにいるだけで、きっと母も姉も、祖母も、みんなもっと笑顔だったと強く思います。
それでもゆめまぼろしだったとしても、たまに夢にいる祖父に会えることは幸せだと思います。
たまには母ちゃんの夢にも、ばあばちゃんの夢にも行ってあげてね、じいちゃん。
優しい気持ちが溢れる大手まんぢゅうは変わらず美味しかったよ。カンザキでした。
おじいちゃんとの思い出のお話です。