サツログ。

独身こじらせ干物でオタク、社畜の狭間で撮られることを仕事にしながら田舎暮らしの夢見人、カンザキサツキ(颯希)の日々徒然とひとり人生の歩み。

もし、最期が近くなったら、どうか人らしく自然にさせてください。という思いで生きてます。

昔の職場では、毎日霊安室に入る必要がありました。

あまり使用されない霊安室のベッドの下にクリーニング済みの制服が置いてありました。

霊安室を抜けたら、そこが更衣室でした。

そんな10代を送っていたぼくの高校出てすぐの仕事は看護助手(とコンビニ早朝勤務とメイドカフェ勤務のトリプルワーク)でした。

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当時はこれぐらい生活の時短のためと男の子みたいに生きてたので髪短かった。

カンザキサツキです。

 

終の住処から体調が悪くなる方が多く入院される病院の病棟看護助手がぼくの最期の医療現場。

とはいえ看護助手、医療行為はありませんし同僚の助手は皆50歳以上。

看護師さんも30代の方が若手の現場でした。

まぁすごい病棟だったのですが、それは患者様じゃなくて働いてる人でしたが外来からあがって病棟はじめての自分には対人関係も、業務内容も過酷な病棟でした。

 

尊厳のある介護と言われだしたのは最近の話、でもその「尊厳」って何だろう。

病棟をやめて何年もしてから介護の資格を取りにいきました。

その時、尊厳のある介護される側の方の意思に沿った介護と言われた時にふと思い出しました。

レポートも尊厳のある介護とはについてよく書かされた印象。

 

命のために、説明されずわけもわからぬま病院に連れてこられ点滴刺され抜かないように身体拘束をされぼくは生きていたいかな?

客観的に見て、綺麗じゃない病院にぶっこまれて、時間がくるまで気持ち悪くてもオムツを変えてもらえないなんて…どんな気持ちだろう。

身体拘束は、医療現場では命を守るために「切迫性」があり、「一時性」であり、「非代替え性」が揃っていたらOK。

身体拘束は、されてる側の身としても、する側も、安直にいえば「辛いもの」です。

 

生きるために手術したり、管を通したり、ぼくはそういう風にしてまで生きたくない人です。

母と祖母と姉が家族にいる。このまま何事もなく、健康をこれ以上害さず生きていけば我が家は女はなんせ長生きの家系だ。

延命しても家族はいなくなっているし、そもそもすでに劣化しんどいこれ以上痴態を晒したくない自分にはいらぬ処置でお金で手間で、そんなことされたらそれこそぼくの尊厳がない。

だからぼくはそうされたくない訳。 

親戚のおばさんは、なんとでもして生き長らえる!長生きしたい!と強く言っている。

そういう気持ちがあるならどんどん医療を駆使して長生きしてほしい。

でも、あまり生きる意欲が高くないぼくのような人間にはしなくてよろしい。

なのにぼくはなかなか命に関わる大病もしないし、神様がいたとしたらクソ不公平ですね!

 

そんな自分の人間らしさを保ったまま、自然に、自分らしく人らしく、ぼくらしく、

土に還る日を毎日後悔しないで全力で生きて全力で堕落して心待ちにしています。

ありのままのさつをで居たいカンザキでした。

 

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