母と対等に話をできる、否定できる、肯定もできる大人になった。
今思うのは、やっぱり逃げるように行方不明になってごめんという気持ちと、
まだどこかで引っかかる、なぜあそこまで強制的に敷かれたレールの上しか歩かせてもらえなかったのか。
でもそれはきっとぼくのもともと内気な性格上だったのかもしれない。
カンザキサツキです。
10月に山に帰った際、実は母と二人で山の家に行くというのは初めてだったりする。
いつもは祖母がいて、何年か前は、免許取ったばかりのぼくが運転したり隣の助手席は姉だったり・・・。
忙しさの中でゆっくり話すことってなくて、都会で実家に行ってもあまり深い話もしないわけで。
まあ、筋トレしてる姿をひたすら笑って写真撮ってましたけど。
(後ろ洗濯物ですいません)
昔はこうだった、ああだった、と家の中の景色と一緒に話をたくさんしました。
そしてぼくが思いの外大人になってしっかりしてることが誇らしいようだったり、それでもまだ子供扱いだったり、色々に話しながらも、
一度母を、家族を、全てを捨てて本当に散々な親不孝をしてきた自分をそれでも愛してくれてることに締め付けれられる思いでした。
DVの父から姉とぼくを連れて逃げ、生きていくために母は必死に働いていたのにそれに気づけなかったぼくはぼくを責めるしかできないし母はそれを謝って欲しいわけではない様子。
なので、行動で恩返ししていくしかないと、改めて思う。
ふと見ると、そりゃバリバリキャリアウーマンの母は年齢より若く見える。
若く見えるとはいえ、「歳とったなー」と思ってしまうわけで。
どうにか母を楽させてやりたい、という気持ちが溢れてくる。
母のように難しい仕事ができる頭脳を持っているわけではないけど、自分が長けていることもあるわけで。
それが母にとってはすごく助かるようだ。
主に力仕事や、PC関係とだけど、それでも母が苦労しないようにそこは絶対時間を割いていくと決めている。
小さなことでもなんでもやってあげようと、思う。
母の知らない、関東での暮らしの辛いことは一切話さないことに、墓場まで持ち込むと改めて決意した。
結論から言えば、母に言っていない自分の体の不具合は母は知らない。
全てにおいて知らないわけではないけど、一生いう事はない。
五体満足に産んでもらって、そんな事言えるわけがない。
なので必死に毎晩少しずつでも筋トレして、維持していかないといけない事は、言わず笑いをこらえてました。
母も真似して同じことするんだもん・・・もう笑うしかない。
そして、そうやって笑う姿が嬉しいのか写真をひたすら撮ったり、リアクションしてるぼくがレアなのかもっと笑わせようとすることを、やめて欲しい気持ち。
本当に恥ずかしい。
一番の親孝行は、子供が大好きな母に孫を抱かせてやることなのはわかっている。
だけど、そこは母も冷静に考えてくれていて、これから恋愛ができたとして、
結婚できたとして、出産したとして、子供が大人になる時代の経済はどうかとか、
若くして子育てしてきた母は「若くないと本当にしんどい」と言ってくれた。
なるべく、母の望む事はしてやりたい。
定年後、支えていけるだけの所得を得れる大人でいたい、とおもうカンザキでした。
母ちゃんの娘でよかったよ、母ちゃん。
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