基本的に物事を客観視してるだけなんだけどネガティブにみられがちです。
夢とか希望とか理想を足し算した見方をしてないフラットな見方してません。
それでも昔は、お付き合いしていた人に
「加虐心を煽る」
とか
「とりあえずお前が悪いことにしといて」
と言われ続けて、返事がごめんなさいな思春期から成熟期を迎えました。
10人に聞いたらその隣に偶然いた11人目までもが悪くないって言うと思う。
例えば、俺が浮気してるけどそれはお前がブサイクだから悪い、ブサイクは金稼いでこい(原文ママ)とかそう言う次元の繰り返しでした。
そうやって自分はごめんなさい星人になっていった。
謝るのは簡単で逃げてることだと気づくに時間がかかりすぎた。
ひとりで生きてたら理不尽に謝るのは本業の時だけだ。
それでもぼくも弊社も悪くないんですけどね、大人の世界ってしんどすぎる。
カンザキサツキです。
祖母が、最近ごめんなごめんなばっかり言うことが非常に気になった。
以前の祖母はそうでなかった。
どちらかといと「ありがとう」が多くて家で一番偉い人だから、
割とアレやってこれやってと言っていいと誰もが理解してたし、本人もそう思ってたはずだ。
ふと気がつくと「ごめんな」「さっちゃん忙しいのにごめんな」と何回一日で言った?
好きでやってんだから!いいんだよ!
って感情的に言ってしまったけど、どうしても引っかかる。
ほかの家族はきづいてくれないおばあちゃんの変化はぼくの杞憂なのだろうか。
「ごめん」が増えたこと以外にも、今年の入院から気になる点が多く認知症検査もかかりつけ医にお願いして嫌がらない方法を選んで受けてもらった。
結局、全然認知機能は問題無のパーフェクトだったんだけど、
背中の圧迫骨折など、体の調子が悪かったことがわかった。(結果病院行ってもらってよかった)
どうしても心配性の自分の性格故なのもあるけど、祖母と母のことになると気が狂ったように心配になってしまう。
ぼくの杞憂で終われば良いことなのだろうけど、「ごめん」は本当に謝る時に使えばいいだけの言葉。
「ありがとう」が欲しいわけじゃないけど、ばあばにはいつも笑っていて欲しい。
元ごめんなさい星人が思うに、ありがとうの代わりのごめんなさいは自分を追い込む言葉。
そして現実から目を背ける魔法の言葉で、抵抗を全て諦めてその場から逃げる言葉だった。
やっぱり「何か」あったんじゃないかと心配になっています。
その昔、ぼくがごめんなさい星人こじらせた時は「ごめんなさい」を連呼しまくってそのままパニックになって過呼吸になっても罵声で追い打ちかけられてたけど、
なぜあの時逃げるだけで防御も攻撃もしなかったのか・・・。
今だからそう思えるのだけど、ごめんなさい先行型になるには何かがない限り、ないと思う。
無理に剥がさず、少しゆっくり時間をかけて情報のヒアリングをしてみようと思います。
ニーズの聞き出し、吸い出し、拾い出しからの提案営業は得意分野です。
週末に会うので、スイーツでも食べながら女子会してみようかしら。
もし身の回りにごめんなさい星人がいたら、きっと胸の奥の方がつっかえて苦しいんだと思います。
無理につっかかりを剥がそうとせず、ゆっくりゆっくり下へ消化へ向けて排出をしやすいように優しく背中をさすってあげるように対応してみて欲しいです。
自分で消化、排出するしかないので、人為的にどうにかしようとしないで本人の持っている能力を信じていいと思います。
ありがとうと言うことは本来人間はプライドが高いから、容易くない。
ありがとう先行型って大人になればなるだけ難しいこと。
と思います、カンザキでした。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。