いつも悔いてばかりの人生だった。
大阪に帰った時に、人生のすべてが終わったと実感した、体感した。
すべてが灰色に見えた。
それはそれは、我が人生最大の絶望だったと思う。
そこから這い上がって、毎日を精一杯、家族のために生きる、
必要としてくれる人のために今日を全力で、明日に悪いこともいいことも持ち越さないと完結型に生きるようになりました。
カンザキサツキです。
かなり小さくなった胃袋が少しずつしか食べれなくなって簡単に満たされど心はどこか空腹のような感じが継続するこの頃。
正直、本当にこの後の人生「やるべくこと」はあれど「やりたいこと」がもうない訳ですが、探せど考えど、今日いちにちで解決すること出会って遠い未来に夢や希望なんて抱かない。
期待は必ず砕ける。だったら望まぬが吉。
そう生きていく中で、なにをモチベーションに、明日を見ればよいのだろうとなってきた。
やるべくことは、家族のために動くこと、生きることだけど、ぼくのやりたいことは?
旅行にいきたいとか、何かが食べたいとかの次元、
「まあ、別にいっか」で済む程度。
切望することも無く、そこに注力することも無くなった。
多分行けば楽しいのだと思う、友達に会いたいとか、それぐらいの温度で考えても、
必ず絶対にすべきことではない。で終わってしまう自分の心の乏しさよ。
仕事のモチベーション、転職のモチベーションまで最近枯れた。
そこまで忙しいかと言われたらそうでもないけど、なにも変わらない毎日に、刺激もなくなってきた。
やる気スイッチが常にオフの自分も逆に珍しいのですが、ね。
仕事をしていても、忙しくても退屈を持て余している自分はやる気がないと言うわけではなく、無意識にこなしている。
若かりし日の「お客様のために一流の店員に」と言うモチベーションなんて枯れてしまっている。
果たして、自分はこの後の人生、何となく「空腹な感情」と「今日1日で完結する」毎日とうまく付き合っていくことができるのかな?と言う心配だけは少しだけあります。
これがひとときの「退屈」「暇」と言う感情で終わってくれたらいいのになと思います。
楽しい時間はもちろん有限であって、その場はとっても楽しい。そしてその一日で終わること。
ただ、継続的な生きていく活力や、ハングリー精神があったはずの自分は一体何をどこに置いてきてしまったのかと思うこのごろでもあります。
老いは時に人を熟させたり枯れさせたりさせるんだと思うこの頃、カンザキでした。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。