ぼくにとっての祖父は、幼少期から父のような存在でした。
初孫の姉はびっくりするほど可愛がられていました。
もちろんぼくも可愛がられてましたが、どちらかといえば祖母に懐いてた記憶があります。
タオルを巻くのは祖父の真似事で、祖父に似てきたと言われると嬉しいばかり。
カンザキサツキです。
ぼくの大好きだったおじいちゃんは小学生の頃に亡くなった。
おじいちゃんと、末っ子のぼくの約束や思い出はこちらに書いています。
大黒柱といえ、いつものほほんとして「ほほほ〜」と笑う祖父より祖母が柱というような感じでしたが、祖父がいるだけで穏やかな空気が流れた。
そんな祖父が亡くなって、しばらくは本当に家の中はどんよりした。
みんながみんなおじいちゃんが大好きだった。
だから今でも祖父の月命日、命日と少ししんみり悲しいさみしい空気が流れる我が家。
20年以上経った今も、生前と変わらないことは、一番最初におじいちゃんが食べ始めるということ。
必ず一番に作ったご飯のおかずは備えて、拝んで、それからじゃないと我が家の団欒は始まらない。
ぼくも「おじいちゃん、今日はこんなもの作ったよ」とか言ってしまう。
そうやってまだ縋っている甘えているところはある。
どうしてももの悲しいし、思えば祖父がいなければ母もぼくもいない、だったら祖父が生まれた日を、祝おうと祖母に言ったのが始まり。
祖父の誕生日の12月15日に、会社の帰りにカットケーキを買って帰って祖母と食べた。
そうすると祖母は、とっても笑顔になったので、これは!と思ったんです。
「おじいちゃんってさー」と明るい話をしながらケーキを食べる日。
それを今年から、「おめでとうありがとうの日にしようよ」と母に提案してみました。
祖父の好きだったものを囲んで、楽しい思い出を話す日があってもいいじゃない。
きっとそっちの方が家族も、故人も嬉しいと思います。
どうしても命日だと言いづらい話題も、お誕生日だったら、めでたい日だからいいんじゃない?
なので、祖父の誕生日は楽しい日にしたいと思います。
何年経っても、子供だった自分でも鮮明に覚えてるおじいちゃんのやってきたこと、一緒に過ごした時間をこれからもずっと忘れることはない。
きっと楽しい思い出を忘れないでいることが一番だと思うので、これからも楽しい思い出を家族と語っていこうと思うカンザキでした。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。