撮影会にで始めたのは母のいる大阪に帰ってきてもうすぐ3年目になる頃でした。
最初は、ひょんなきっかけでグラビア系撮影会にいました。
今とほぼ変わらず仕事と家の往復、休みの前の日は朝までバイト。
暇さえあれば酒に溺れているような人生をどうにかしたかった頃だと思います。
コスプレは中学生で興味を持ち始め、今のようにウイッグも豊富にない時代でした。
なんとか髪型を近づける、そして手書きの名刺を交換して仲良くなってまた遊んでを繰り返してました。
就職して土日が休みじゃなくなるタイミングでスパッとやめました。
なのに、またコスプレしています。
コスプレ撮影会にいます。
カンザキサツキです。
自分をさらけ出さなくていい、他の誰かになれるコスプレは強い虚像になる。
これに尽きます。
自分を隠すこともできて、最大限、自分でない誰かになれる。
それに気づいたのは、多分秋葉原で働き始め「メイドさん」になるという楽しさを感じた時だと思います。
自分自身が嫌いすぎるというより強い気持ちで、
自分に魅力がない生き物だと誰よりも理解している。
だから自分のなりたいものになれるという気持ちはだいぶと背中を押してくれてる気がします。
自身がただ私生活上であまり写真に写ることもなく、引っ込み思案の人見知りなこともあり、
撮られるという行為が得意ではないということのギャップを、自分が撮影会で一番楽しんでいるのかも知れません。
仕事のスイッチオフの状況で照れずに顔を表情を作れるかと言われたら、うん、無理です。
ただ、表現できる、ただ集中できる。ただ、誰かの人生になれる数時間。
これからの人生、これまでの人生、自分を受け止める事ができるのかと聞かれたら自信がない。
でも、誰かになる、演じる、表現するという刺激を知ってしまったので、このやり直しのきかない数時間、異常なまでの集中力と思考回路をフル回転させる時間が楽しくて仕方がない。
だから、コスプレでの仕事を選んで人生の一部にねじ込み続けたくなったのだと思います。
ポートレート(私服などでの撮影)は苦手ですという理由はここに通じるものがあります。
いつまでも逃げてちゃいけないと、頑張ったけどまた戻ってしまいました。
自分を受け止めるというより、自分の遺影にする写真も何もないので、ちゃんと残していかないといけないなと思ってるカンザキでした。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。