祖母が入院していた時から余計にどうしていいか分からなくなってきています。
自身は父代わりでもあった、祖父に「タオル巻き巻きスタイル」以外にも託されたことがあります。
カンザキサツキです。
昨年こちらの記事に書いています。
最近、家族が笑顔でないのが、僕の元気のないことの起因です。
祖母が言っていること。
母が言っていること。
姉が言っていること。
叔母が言っていること。
病院の先生が言っていること。
近所の人が言っていること。
全てその人の思っていることは正しくて、全てを理想的に応えていく、のは難しい話。
それは頭が良くない自分でもちゃんと理解できています。
我が家は自己主張激しめの人が多いから擦り合わせていくと言うのは難しいこと。
緩衝材が僕です。それはいつからか、変わりません。
もちろん誰もが「正」だから誰かが間違っているわけでもない。
ただ、話し合いができない自己主張型の塊は良くないことを普段寡黙な自分が吐いたところであまり説得力がない。
そう言う時にどうしても、まだ小学生だった僕の記憶の中ですげえ人、祖父を欲してしまう。
おじいちゃんだったらどうしただろう、と。
そもそも、自分はじいちゃんじゃないから分からないけど、おじいちゃんだったら・・・と。
きっと似ているところはぐっと我慢すること。ずっとヘラヘラ笑っていること。
あとくそがつくほど真面目なところ。
誰が一番と言うわけにはいかない。
みんなが納得する回答を出すのは、会社や友人関係じゃない、家族では頑張らないといけない事だと思う価値観を「押し通す!!」なんてこともできやしないけど、
正直、今いい状況じゃない。
昔のように、家族みんなでいただきます!がなくなった我が家だけど、それはみんなが大人になっただけ。
じゃないと思っている。
ただ、おじいちゃんとの約束を果たせていない自分がとってもむず痒いです。
有給休暇を取っている今日。
少し祖父の墓前で、悶々とした気持ちが晴れるまで、寒いけど祖父の墓を綺麗に磨き上げながら、
返事が返ってくるかもしれないと夢のようなことを考えながら、気持ちを整理してみようと思います。
別記事に続けようと思いますが、終末期に入る家族と向き合うに、どうしていいか悩んでいます。
きっとみんないつか訪れる、それは自身も同じく歳を重ねていくから訪れる。
どうあるべきか、どうしてあげるべきか、どうしたいかを考えているカンザキでした。