自身は介護職員初任者研修を5年ほど前に取得しています。
仕事が少ない郊外に引っ越して、将来を見据えて運転免許と併せて資格を取っておこうと言うきっかけもあってです。
割と将来考えていたけど失敗を繰り返していますよ!
カンザキサツキです。
昔はホームヘルパー2級と呼ばれていたものが介護職員初任者研修になりました。
名前が変わっただけではないのは授業時間が増えたこと。
・尊厳のある介護
・QOLの維持
この2つについては、かなり授業時間を取られてレポートもしっかり目に書かされました。
介護計画作る授業とか・・・介助の声かけの選び方とか先生厳しくて、割と大変だった。
ちょっと思い出話をすると20人いないぐらいのクラスで、4人で1班でした。
自分の班は介護施設勤務2人と介護ボランティアしてる方1人と、当時販売職の店長の自分。
とっても仲良しの班で週一の授業の昼休みは一緒にご飯を食べに行っていました。
祖母の退院時にやってきたQOLの話
実は我が家は母も資格持ちです。叔母はケアマネです。
ぼくも資格持ちで、看護助手経験があります。
「来たよ、来たよ・・・QOLの話・・・」
QOL(クオリティオブライフ)=「人生の質」「生活の質」
つまりはどれだけ人が人間らしく、その人らしく過ごせるかの尺度のこと。
(ざっくりですみません)
問題点は、祖母のQOLを向上させるために、祖母の意見を尊重すると日中、何かあったらの危険が伴う。
こちらの記事に書いているように、「人生の隠居」と言い訳をしながら、どうにか長く健康に生きながらえるを自ら選んだ祖母です。
その祖母の思い、考えが変わってしまったのが今回の大きなポイントでした。
しっかりヒアリングをすると、
祖母の思い描いた何かがあったらすぐ来てくれる設備のある中で「生きながらえる」を叶えることより、今は暮らし慣れた我が家を選ぶこそが幸せだと思う、
それが祖母の望みでした。
ただ、つい退院の1週間前には何度か心臓が止まった人です、いつ発作がおき止まるかは病気的な意味で、わかりません。
突然「ウッ」となってしまったら最期ですが、ぽっくりいけるとも限りません。とも言われました。
祖母のことが心配だから自宅ではなくちゃんと「何かあったらすぐ駆けつけてくれる場所」にいてほしい、せめて平日だけでもそうして欲しいと言う家族の思いは嫌の一点張りでした。
ポックリ逝けるならいいけどそうじゃないなら嫌だと言う、イヤイヤ期の尊厳を叶えてやりたいやれない状況。
ここまで来ると、毎日お見舞いに行っていたため「なんでもしてもらえる」思考に変わってしまった祖母がいます。
(そりゃばあば死にそうになってたんだもん)
これまでは「自分でやる」祖母が、一時的に「してもらえる」甘えん坊さんに変わったと思えば可愛いものですが、あまり状況は全てがよく容易に進むわけではありませんでした。
ぼくも、母も、叔母も、他の家族も仕事を持っていてその仕事で生計を立てて生きていかねばばりません。
仕事を辞める、短縮すると言う選択はできないのですが、祖母はそれを望んでいます。
ぼくたちもそうしてあげれるならそうしたい、でもそうできない状況をずっと祖母も周りに言っていたし、知っているハズなのに・・・と難しい状況です。
そして良くないこと、家族同士で話すと火がついてしまう。
ぼくがたまたまその日は仕事で不在の、祖母の退院日の夕方に事件が勃発していました。
祖父に生前言われた「緩衝材の役割」の自分はちゃんと役に立っていたと言う安堵と不安と様々な気持ちにやられました。
これは一旦、と言うことで現場のプロと本人でどうしたいかどうすべきかを話し合っていただくことにして、穏やかになだらかになんとか日々を送るよう心がけていました。
例えばぼくが祖母に割く時間を増やせばいい、だけの簡単な話ではないのが難しいところ。
誰かが我慢する、と言うのは今後、長期戦になる介護の中ではの中では良くないこと。
ましてや、認知もない、今回の入院以外に大きな病気もない人に手厚くするほど誰もが甘くない、「働かざるもの食うべからず」我が家の基本方針。
少しの冷却期間が全員、そろそろ均等ではないにしろ、少し冷えてきていると思うので、
冷え過ぎてる自分も少し温かみが戻ったのでちょっと話してみるにはいい頃合い。
もっと自分に知識や経験があればと責めた1週間を実は送っていました。
やっと自分も頭が冴えてきたのだと思います。
自分は冷たいと思われても八方美人と言われても、
平等主義者で合理主義者なので、誰かが我慢するならみんなである程度飲み込める大きさにして飲み込もうねと言う思考回路をしています。
強要と強制するぐらいなら自分が・・・と言う気持ちはありますがそこまで強いわけでもありません。
母にひたすらいじられて笑いを堪えきれない、祖母が過保護すぎてお魚の骨を全部取ってくれたりミカンを剥いてくれたり、そんな我が家の当たり前の休日の団欒がまたできるようになりますように。
いつまでも祖母は若くないと、頭でわかってたハズなのにやっと心の底から気づく、カンザキでした。
自分は孤独死する系ぼっちです。