学生時代、同級生より先輩に可愛がられる方で、
私生活も年上の友達が多くて、あまり同じ年代の子と合わなかった。
自分も大人になりました。
気がつくと、周りには年下が増えてきました。
中身は変わらず成長してないなーと思うことが良いことであり悪いことだと思うけど、
下手に背伸びするのはやめようと思っています。
なので、頼りないからいつも様々にお世話されてます。
いつもお世話してくださってありがとう。
これからもお世話というか介護かもしれないけどよろしくね!
カンザキサツキです。
貶すや蔑むは簡単だけど、褒めるって実は大人になればなるだけ難しいことだと思う。
大人になればなるだけ、経験や人生論など積み重ねが積み重なっていく様々な要因がある中で、
謝ると同じぐらい褒めるということは難しい人が増えてくると思うのです。
自分は、どちらかといえば褒められる人ではないですし、
過去の記事にも書いている通り貶されたり、あなたはこの穴に入ってねーと言わんばかりに掘り下げて深いところにいるように丁寧に案内されたりします。
悪いところに容易に目が行きやすいのは人の性であると思う。
粗探しとも言わずながら、いいところより悪いところが先に目に付くのは本質だと思う。
検品という言葉と工程があるように、
ミスがないかチェックするという過程を必ず皆人生の中で様々に積み重ねてきているから
それは仕方のないことなのだろうと理解しています。
なので、褒めるを作るということが大事だと考えるようになりました。
人の上に人を作らず、ならば
人の下に人も作られない筈です。
見て学べという言葉もありますが言葉に出さねば伝わらない世界です。
言葉に出しても卑屈に取られることもある悲しい世界ではありますが、卑屈に取られる安いお世辞ではなく、
本当の意味で相手の優れている場所を褒めることは大事なことだと思います。
感謝の気持ち以上に難しい、褒めるということ。
それは凄いですね!など簡単な言葉ではなく
ここの考え方が自分には出来ないから感動しましたなど、具体的な手法であればあるだけ良いと思うのです。
必ずプラスのサイクルに自分も相手もなると思ってしまいます。
相手を持ち上げたり立てるためではなく、
自分にない魅力や考え、発見を褒める、称賛する広さをもつと、感動や楽しさが増え、
相手がもっと素敵に魅力的に見えるようになるから、
結果いいことだらけだった自身の経験がそこにあります。
貶してばかりの寂しい悲しい人といた時代は本当に心が貧乏でした。
金がなくてもせめて心は豊かな大人である姿を見せつけて行きたい欲深いカンザキでした。
自分にないものを持っている自分以外の全ての人や動物にぼくは尊敬の気持ちを忘れたくないなって思います。
そう思えるようになったのは、素晴らしい仲間のお陰でしかありません。