おじいちゃんが生きていたら、きっとおじいちゃんは今のぼくを
「えらいですね」と褒めてくれると思います。
でも、おじいちゃんが生きていたら、きっとおじいちゃんが変わらずしていたから、
褒めてもらえなかったと思うよ。
もし、生きてたら・・・
いや、きっとおじいちゃんはストレスで胃を壊しまくって、やっぱり生きてないと思うよ。
カンザキサツキです。
家族にとってぼくは肯定から入るイエスマンに見られがちだけど、言う時はちゃんと言う人です。
最近やっとでもありますが、言うべきことは言うようになりました。
それは大きな進歩ですが、大きな進歩になったのは近所の方から
「さつきちゃんしっかりしてるねー」
「大人になったねー」
と言う声が家族に伝わっているので発言力が上がったと言うこともありますが、
家族と離れて10年以上暮らし、様々な人と出会い、
やっぱりこれはうちでは普通でも他所ではおかしい事
についてはきちんと道筋を整えて話をするように、意見を述べるようになりました。
とは言え、犬の方が優先されるピラミッドの最下層の自分なので、どうすることもできないことはまだあります。
(いじめられてる訳ではありませんのでご安心ください)
緩衝材である間を取り持つポジションのぼくのモットーは、八方美人でいてはならないこと。
全てを肯定すると言うことと、八方美人になると言うことはパッと見た時に同じように見えても、
実際中身は全然違うと思う。
そう思い行動をしています。
なんでも「いいよ」のイエスマンはいつか誰にでも「いいよ」と言って
みんなに「いいよ」は誰かの「よくないよ」で身を滅ぼし周囲も不幸せにする。
これが元、八方美人の自分が出した答えでした。
本人が考え選択したもの、出した答えはその本人の「正解」であり「正しい」ものであると言うことをまず受け止めてみて、
周りの意見と並べてみて、自分で精査してすり合わせていい方向に導く事がとっても大事だと思い、
家族には特に時間と脳味噌を使って考えて言動に繋げているつもりです。
最近、ぼくがいなくても言い争う場面は減りました。と、思います、感じます。
起こらない訳ではないけど、喧嘩や言い争いは減った気がします。
でも、ちょっとそれに甘んじて祖母はわがままになって気もします。
許せる範囲のワガママは、聞いてあげれる耳と心が家族は少し増えた気がします。
その代わり、家族のワガママが聞ける事が増えた気がします。
要は、ぼくにとって、ぼくが幸せを感じる場面が増えた。
だけかもしれませんが、
家族のための緩衝材が嬉しい思いをする幸せを感じる事が増えました。
みんなが働き者で、みんながバタバタ動いている家でした。
今もみんなが働き者で、休まっている姿をあまり見ませんが、
以前は忙しい、しんどい、余裕ないの三拍子で本当に悪い意味で賑やかな場面もありました。
実は、最近、祖母の具合が良くありません。
昨年の入院と比べて、衝突もなくなめらかに動いているのは単に家族の経験値が上がっただけではないと思っています。
変わらず家族の愚痴を聞く窓口ですが、機嫌をいい方向に持っていく窓口でもありますが、
そう言う時間が減って、なめらかにスマートに動いている様子です。
こう言う時に感じてしまうのは良くないのかもしれませんが、
余裕がない時に余裕を持って行動できる人がぼく以外にいると言うことは大変素晴らしいと思います。
あとは、祖母が元気になるだけ!元気に家族みんなで夏休みに山の家に帰るだけ!
それを願って、普段は緩衝材だけどちょっと駆け抜けているこの頃のカンザキでした。
祖母が大好きなぼくです。それはたくさん記事に書いていますのでもしよろしければ読んでいただければ嬉しいです。
おじいちゃんとぼくの約束のお話はこちらです