悲しい事件以前から想像力の弱い人が増えた、
誰かを勝手に蹴落とした風の満足感で自分が優位と思う人が昔以上に増えたなと思って生きていました。
できることが増えた便利な時代、悪質性も増していると思います。
言葉や態度ややってしまったことは時間をかけて自分に還元されるよと、自戒を込めて言いたい。
カンザキサツキです。
正直うまく感情を言い表すことはできませんが自分のいた環境でもそういう「攻撃」は多いことを長く知って、自身も少し経験したこともあります。
過去の源氏名、今の颯希と漢字表記になってからは見ていませんが、平仮名表記の時代でも、それは旧2ちゃんねるなどを見たら悪口は出てきますし、SNSでも過去嫌がらせされたこともあり、今のアカウントになりました。
知的じゃない「ババア」とか「ブサイク」とかそういう感情論から、そうでないものまで。
10年以上前でもGoogleで調べたらパッとまだ出てくるのです。一生出てきます。
そう、一生出てくるんです。
お陰で職歴探すとき便利ですよー!ありがとうって嫌味いっぱいに書いておきます!
今でこそ笑ってるけど若い頃はそういったことに本気で傷つきました。外に行くことも怖く、誰かに会うのも怖く、職場に行くことも怖かったです。
メイドカフェの時代は、お客様か店の一緒に働いてるスタッフしか自分のことを知らない筈。
なんでこんなに悪口書かれるのだろうと思っていました。
今はまた傷つくのが嫌だという理由も踏まえて調べることもしませんし、
嫌悪的なリプライ、コメントを書く人はミュートしたり平気でブロックします。
そして空リプという実際のツイートを見た人が引用をせず分からないように書いていたり、そういう可能性のありそうなキーワードもそっと出ないように…。
DMやリプライに書いて反応してもらいたい人は、かまってちゃんだったり、
狭すぎる世界で自慢気にするしかできない気も小さければ心も小さい人だということを自分は理解していますので反応しません。
「ああ、かわいそうだな、こんなところにしか居場所がないんだ」と。
反応したら過激になっていきます。
テンションが上がるようです。かまってちゃんですから。
ただ、攻撃をするしかできず人の良いところを探せないこと、
それは相手を正面から見れない人と言い聞かせることが大事だと思います。
ネットの吊し上げって今に始まったことじゃないけど、SNSが普及して、直接噛み付けれるようになってしまい
ネット社会が加速して、噛み付ける手段が勝手に増えて、
一人でできる攻撃手法も増えすぎて、簡単に防ぎきれない攻撃になってしまってる。
実際「悪口や悪態」を「悲しいなあ」で割り切れる人は少ないと理解しています。
見せられたり、見てしまったり、相談されたりならまだ良いのです。
去っていった子、連絡が付かなくなった方もいました。
バイト先から突然バックレ同然に消えた子もいました。
今でも思います、とってもシフトの穴埋めは迷惑でした。
でもそれはその子が耐えれない攻撃を受けたと知ってから、今も悔やみます。
なので見えない攻撃は痛い苦しいしんどいつらいというのは、自分もよく知っています。
目を強制的に閉じさせられてる状態で、どっから包丁が飛んでくるか分からないけど避けてねゲームに強制参加!
誰だって怖いでしょう?
それと同じことをしてると、理解できない人が攻撃してると思います。
そして、普通に生きていてみんな会う人出会う人全員に悪口言って生きてるのって不安になります。
確かに悪質なクレーマーとか変な人増えたとは思いますよ!
でも、普通に生きていて、普通に道を歩いていて、
たまに変な人に突然怒鳴られたりしますけど、年間1回もあるかどうかです。
そんなに、ない事でしょう、普通。
でも世界のどこかに、電車の中の誰かに、そういう攻撃力のある人がいるかもしれない。
そんなの分からない。
でも相手は今そのスマホでニコニコしながら楽しく悪口を書いている。かもしれない。
きっと法整備をしてもそういう人は
「自分はそうじゃない」
「指摘してあげてるだけよ」
「お前が悪いんだから」
「発言の自由」
など、色々いうと思うのです。そういうこと書いてる人も見かけます。
悲しいかなぼくの知ってる人でも悪意もなくずーっと悪口しか言わない悲しい人がいました。
その人に攻撃を今だに空リプでされていることも知っています。
(このブログも見てると思いますが)
悪意がないのは、それはきっとぼくが優れていなくてその方の人生の邪魔にも何もなっていないのに、
その方からしたらぼくは家の中でなかなか死んでくれない蚊みたいな嫌な不快な存在なので、
やっつけて当然の存在という認識だと思うのです。
ぼくの好きなアニメ、PSYCHO-PASSの世界じゃないけど、
心が汚れてきて犯罪予備軍指数のようなものが上がってきたら、
本来必要のない治療が必要な世界にならないか心配です。
ぼくがこうやってブログを書いたり、生きるために働いたり、写真を載せたり、
そういう行為を嫌ならそっとブロックという機能を使えば見ることもないのです。
そういう機能のついている世界です。
わざわざクリックしなければこの記事の2000文字以上も見ることはないのです。
でも見てしまうってことは本当はぼくのこと好きなんでしょ?と思いますカンザキでした。
長くなりましたが、この辺りに似たようなこと書いてるのでよかったら読んでいただけたら嬉しいです。