物凄く大阪だけの話ではありますが、今後、墓地というものに向き合うと大事な事だと思うので、
墓じまいを考えている方は読んでいただけたら嬉しいです。
これでも一応しっかりしてると思うのです。
カンザキサツキです。
割と歴史のある父方の家と、割と歴史のある母方の家とも独立した家に生きています。
「三代目」のぼくですが、それは祖父を一代目(初代)とした墓に入る三世代目で、
駆け落ちで故郷を出た祖父母がお互いの実家のちょうど真ん中ぐらいにに買った家の三代目です。
夢と笑いと、思い出の詰まったこの家です。
自動的に祖父母、母のあとは僕です。
って言ってますが多分祖母の遺言だとそうなると思うのでそういうことにします。
ぼくの思うこの家のたたみ方や空き家問題についてはまた今度書いていこうと思います。
祖父が大阪で亡くなり、本当は祖父はこの家の片隅に墓を設けて欲しかったという話を幼い頃に聞いた事があります。
それは、祖母を筆頭にした家族の気持ちの上で叶わず、大阪に、祖父が一人で入っている墓があります。
一応三代まで入れるから、自動的にぼくまでは入れます。
しかしぼくには子供がいない、相手すらもいない。
この後を受け継ぐ人間がいません。そうなると墓を持っている事はデメリットになってしまいます。
我が家のように墓を継ぐ人がいないからという理由でも墓じまいが増えている。
ぼくの家もそうです。現在は祖母が管理をしています。
祖母の次はきっと母が管理することになります。
今我が家で出ている問題は、祖父の眠るこの墓を、今後どうしていくか。問題です。
出てくるワードは墓じまい。
大阪だと「一心寺さん」と言われる合同納骨堂のあるお寺さんが有名です。
だいたい、墓じまいか墓を構えない人はここが候補に出てくるぐらいメジャーです。
我が家もこのあとは、おじいちゃんのいる墓を畳むときは、
一心寺さんやなーと話が出てきていました。
その一心寺が納骨の受け入れ制限を始めるらしい。
現状はまだ受け入れしてくれています。
本来は分骨の承りだけども時代と共に全骨(火葬した後の骨壺全て)受け入れてくれているお寺さんです。
全骨(胴骨ともいいます)と墓じまい(改葬納骨ともいいます)が非常に増え、
要はキャパオーバーになっているようです。
そのため、令和3年から、小さな骨壺のみの承りで、墓じまいのためのお骨の移動は受け入れれないそうです。
詳しくは一心寺さんのHPに書いています。
こうなると我が家は、どうしよう・・・とまた振り出しに戻ることになります。
散骨スタイルも様々に増えたり、合同墓地で樹木葬など、時代に合致した納骨スタイルが確立されています。
時代と共にお墓を持たないで散骨するなど、スタイルが変わっていく事は仕方ない。
だって少し前までは土葬だったんだから・・・。
墓や仏壇というのは亡くなった人を忘れないためだったり、
やっぱり生きている人たちのより所であると、信仰心もないぼくでも理解はしています。
一番悲しくてダメな事は、管理する人がいなくなり墓石を撤去され、
管理者によって骨壺ごと何処かに納骨される事だと思うのです。
しかしこの問題は今後もっと増えていくと思うので早めに自身も対応していかねばと考えています。
そもそもこの墓は墓石は家族で選んだ記憶はあるけど、
土地は賃貸なのかとか賃料はかかっているのかとか、寺に年間いくら納めているのかとか・・・何もぼくは知りません。ダメですね、向き合わないとと思っています。
変わりいく時代の中で核家族どころか、ぼくのように打ち止めになる家を畳む役目のある人間も増えてくると思います。
呪いとか占いとか信じていないので、家族、親族、先祖の供養せずバチが当たるとは思いませんが、
人としてやるべき事は何もトラブルが起きないように整理して整地して終える事だという考えです。
でもやっぱり大好きな家族の最期の最期の姿が自然に帰る日のことを考え、改めて考えないといけないなと思いました。
ただ、ぼくはぼくの骨すらも何かの物質になるのは嫌なので、どうすれば火葬と同時に骨まで消え失せられるかを死ぬまでに探す必要があります。
調べてみたら、一心寺さんって納骨したら阿弥陀如来像になってしまうのね。
ぼくはそういうの嫌だなって思います。
誰ともくっつきたくない。この世から解き放たれたらひとりでいさせてくれ。
考える事が、楽しい事が減ってきているけどこれは真面目に考えないといけないと思ったカンザキでした。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。
祖父のような大人になりたいと、今でも願っていますが無理な気がしてきた。