我が家の愛犬は15才になり一月が経過しました。
後ろ足を引きずるようになり、
あまり自分からご飯を欲しがることもなくなり、
口の近くまで柔らかい食べ物を差し出す日々を送っています。
そんな毎日がいつまで続いてくれるかの心配や寂しさ以上に
愛おしく、帰路に向かう足は日々駆け足になってきています。
カンザキサツキです。
時間にとらわれず生きる、ちょっとおとぼけおじいちゃんの息子です。
前にもどこかの記事に書いていましたが、人間でいう認知症になっている可能性を言われています。
人間ではないので認知症のテストがあるわけでもありませんが、
遠くをぼーっと見てみたり、突然怒ってみたり、もう寝る時間なのにお散歩を所望してみたり、若い頃と様々に異なる暮らしぶりの中で、
朝でも昼でも夜でも関係なく感情に素直に欲求に正直に自由に生きれるお年頃です。
高齢の犬になるとこういうことがあると聞いていましたが、人と同じく犬も年齢の出方は異なるようです。
我が家の愛犬は時間にとらわれることなく好きに自由に生きていらっしゃいます。
今までの日々の習慣にとらわれない、虎太郎が虎太郎のしたいように暮らす有様がうらやましくなりました。
夜でも、夜中でもお散歩にいきたくなると、行きたい!となる自己主張の激しいお年頃です。
逆に今食べたくないなら食べない!というのはちょっと困ることもありますが、
自分の気持ちに感情に正直に生きてる姿に、自分もそうできればなと羨ましい気持ちがこみ上げてきます。
やりたいことを、ちゃんんとやりたい!と言える勇気がぼくには実際ありません。
若い頃のハツラツとした、遊んで欲しい!遊ぼう!とまた違った、
今はこれをするのが忙しいです、はい!以上!
みたいな自己完結型の愛犬の行動に取り入る隙がありませんし、
彼のやりたい事に協力が必要なら一緒に楽しむために喜んでお手伝いがしたくなります。
ますます犬主体の生活になっているのは、彼のそういった思考に基づく行動全てが興味深くて、
見ているだけで幸せな気持ちに満たされるのです。
下手に構うと怒られたりするのもありますが、最近はこれは今ダメだなって分かるように自分もなってきました。
時折、自分を必要としてくれるデレる時間で更に愛おしくなり、更に密度の濃い関係になりました。
きっと彼とのこの暮らしは、何十年も続きません。
一緒に寝たくない日は一緒に寝ないですと言いたいような感じで自分の思う場所で寝ている癖に、
こちらが寝静まったらそっと隣に寄り添ってくれる、なんともいえない関係が有難いです。
あまり飼い主と犬という立ち位置で生きていない代わりに
自分の話や表情を良く悟ってくれている気がします。
(飼い主の自己満足思考です)
虎太郎は自己主張が激しく、嫌なことは絶対嫌!と拒絶できる。
そして大好きな人に精一杯の大好きを伝えてくれる。
それは自分に足りないことである。
自分に素直に、誰かに左右されずカッコよく生きる我が息子が羨ましいカンザキでした。
でも、たまには好き嫌いしないで、人参も食べてね。
合わせて読んでいただけたら嬉しいです。