ぼくは、あまり記憶にないけど4歳の頃親父に原爆ドームに行きたいと行って連れて行ってもらったことがある。
なんとなく覚えているだけで鮮明ではない。
そりゃ4歳だもの。
しかし子供の頃から興味が人よりあったのは確かだと思う。
これでもかというほど、小学校でも中学校でも高校でも戦争について学ぶ時間があった。
今でも疑問に思うことも多い。
カンザキサツキです。
小学校の宿題で、おじいちゃんおばあちゃんから戦争体験を聞くということがあった。
その時に気づいたことは、語りたくない人がいるのに、なぜ嫌な思い出を聞くのだろう。
宿題だから絶対やっていかないといけないけど、聞ける人がいない子もいたけど何故だろうと思っていた。
ぼくの祖父は、戦争を憎んでいたし、ひどい経験をしていることは子供ながらに理解した。
ハワイに家族旅行に行こうとなっても、孫のお願いでも祖父は頑なに拒んだ。
「アメリカの土は踏まない」
それをすごく覚えていて、祖父の戦時中の話は祖母や親戚、母からの話でしか知らない。
そして祖父の手記が残っているらしいけど、それすらもまだ読むことはなく行方がしれない。
そう、語りたくない人がいるのに、なぜえぐるような行為を強要したのか。
記録はたくさん残されていて、書籍や映像、資料館などもある。
結局、祖父からは聞くこともできず、祖母は祖父が話さないならと話さなくなった。
宿題だから近所のおばあちゃんに聞くことにしたけど、それでもいい顔はしなかったことを覚えている。
中学の修学旅行は長崎で1日だけ平和学習だった。高校はがっつり3泊4日間そうだった。
事前学習はあったものの、中学ではあくまで道徳の授業と社会科の授業の一環での平和学習だったので、
あまり深く学ばなかった記憶がある。
公立中学から私立高校に進んだ、高校の修学旅行は沖縄だった。
昼間は観光という名の戦地めぐり。
夜はご飯が終わればそこで勉強、グループ学習、発表としっかり勉強が続いいた。
防空壕、ガマをクラスごとに抽選で決められ、
比較的整地されているガマに入った経験はいい、と言っていいのかわからないけど、いい経験をしたと思います。
自由時間は最終日の昼ごはんから飛行機までの時間だけでずっと勉強していました。
ぼくにとっては興味のあるものだったけど、どうしてここまでぼくの宿題のために過去を掘り下げ悲しい顔を見ないといけないのか疑問に思ってきた。
語り部を選んだ人、語ることをする人、祖父母のように語ることを拒む人。
子供心には切り分けが難しかったことだけど、この時期になると戦争の辛い記憶を抉られる人がいるわけだ。
忘れてはいけない、繰り返してはいけないということはわかるのだけど、
そろそろ違うアクションで起こしていってもいいのかなと思ってしまいます。
ぼくもそうだったけど、戦争を学んで出てくることは
「戦争が良くない、あってはいけない」
これにまとまると思うのです。
そのまとまるまでの過程に、「経験を聞く」ということで無邪気にえぐるということより、
資料館や博物館がある今、そこに行って調べる、まとめるじゃダメなのかと思ってしまうことがある。
高校の夏休みの課題で戦争の博物館に行き、入場券添付でしっかりレポート提出があった。
それでいいと思うのです。
大人になり、祖父が何故アメリカに頑なに行かないと言ったのかや、
戦争を語りたくなかったのか、なんとなく知ることができた。
祖母からも数年前、ほんの少しだけ話を聞くことができた。
誰しもが触れられたくないことがある、その一つが祖父母は戦争なのだろう。
単純な興味で聞くものではないし、
宿題や課題という義務で聞くものでもないと思ってしまう。
ただ、ぼくが知る戦争の記録、記憶、経験談は日本だけのものです。
故に、悲しい辛いばかりであふれています。
大人になって思うのも「戦争が良くない、あってはいけない」子供の頃と同じ回答です。
戦争に対しては、大反対だ、2度と起きてはいけない。
世界中の小さな揉め事すらなくなってほしいと思う。
75年経っても、まだ新たな証言や記録が出てくることでしょう。
どうか、その記録や記憶を引き出す際に、
思いやりのある傾聴の姿勢で。
という心がけが当たり前になりますように。