今年の初め、控えめな表現でも祖母は死にかけました。
今までなんともなく元気だけが取り柄だと思っていました。
実際、祖母がそうして見せてただけで、最近気づいたのは、
調子が悪かった兆候が過去にあったとがわかりました。
それでも、よくここまで元気に生きて来たと思います。
まだまだ長生きしてほしいけど、コロナ禍じゃなければこんなに筋力の低下とか含めADL低下について気にならなかったのかもしれない。
カンザキサツキです。
祖母は今年見事に心臓2回止まりました、奇跡の復活しましたけど超リスクお抱え今年90歳女子です。
感情論抜きに、生きたいなら引きこもって!お外に行かないで!と言われて当然のものを抱えています。
見た目は70代後半でも行けるぐらい童顔ですが、それでも背負って生きているものは大きいのです。
外出を禁じられ、家族すら面会ができない状況が取れたと思ったら、
また通院や必要な買い物など以外の外出も面会ができない状況になりました。
祖母が現在住んでいるのは、普段出入り自由で介護がいらない人たちが個別に暮らしている場所です。
部屋にボタンがついていて、何かあったら24時間人が来てくれたり、談話室があったり、頼めば食事も提供してくれる場所です。
毎朝、様子の確認もしてくれる場所に自らお引っ越しをしました。
逆に言えば、介護が必要な人は入れない場所でもあります。
おばあちゃんは生きながらえる!好きに生きるわ!と言って引っ越しをしましたが、
コロナの流行で好きに生きれなくなりました。
その引きこもりストレスが、家族にぶち当たる事件が発生しました。
本当は不要な外出もできない中、家の用事もあり自宅に一時帰ることが許され、
家族で日中集まりました。
ぼくの前でいつも優しい穏やかな祖母から聞いたこともないような感情のこもった大きな声を聞きました。
孫のぼくが間に入る余地もなく、入ることもきっとお門違いだろうと察してベランダで家庭菜園の手入れをしていました。
個別に母と祖母の話を聞いてすり合わせをするのが緩衝剤のぼくのお仕事です。
正直、母のもう少しだけ我慢してくれ、コロナになったらばあばちゃん以外も大変と言ってることもわかる。
正直、祖母のいう、残りわずかの人生なんでこんな我慢我慢で辛い思いしないといけないのかということはもっとわかる。
正直、どちらの肩も持ちたいけど、投げ捨ててしまいたい。
そう思いました。
あと20年は生きない、10年もきっと厳しいだろう祖母にいい答えを導き出せない自分が憎くなった。
必死にその日は「あのね、ばあばちゃん」と家庭菜園の話や、お花のことを教えてもらって、
その中でこういうことしたいね、もう少しだけ待っててね、と
少しでも気持ちが変わるように繰り返しお話をしていた。
自分で動けるうちに自分で好きに生きるために選んだ場所だけど、
こんなに我慢を強要されるなら出て自宅で好きに生きたい、という祖母の思いは痛いほどわかる。
しかし、祖母や祖母の周りの高齢の方と接していても、自力で予防し切れていない現状だ。
コロナがどうやべえのか
コロナはどう防がないといけねえのか
これについて、あまり歩み寄っていただけないことがある。
認知機能がなどいう人もいるけど、
習慣の切り替えがぼくたち若い人のペースと異なるし、
渡り歩いてきた激動の時代の修羅場の度合いが違う。
なので、祖母が嫌がっても周囲に目があり、指摘してくれる人がいる、
外出を禁じることができる=リスクを減らしてくださる人がいる、
そういう場所にいることで家族は安心して仕事に行けるので大変ありがたいと思っています。
その中で、どう説得力のある言葉を選んで話をしていけばいいのか悩んでいます。
そういうのはプロに任せたらという人もいます。
プロから言われるのは家族の言葉が一番。確かにそうだ。
家族が良くも悪くも作用する。机上でもそう学んだ。
ただ、できる限り祖母の盛大な長い人生、笑顔でゴールを迎えてもらうのに、
やっぱりこのコロナウイルスとやらに酷い怒りをぶつけたい。
でも見えないからぶつけられない。
祖母がもし自宅を希望したら、正直外出をそこまで制限できないので、
今はどうにか今の場所に留まってほしいけど、きっとぼくでも家から全く出れないのは無理だから
お出かけ大好きおしゃれ大好きばあばちゃんは痺れが切れてるのだろう。
だってキレてたもん。
いい方法、いい言葉、いい楽しみを見つけたいけど会うこと自体制限されお手上げのカンザキでした。
あわせて読んでいただけたら嬉しいです。