自分の大好きな美しすぎる俳優さんがとある番組でおっしゃっていた経年美化という言葉が頭から離れません。
ヴァイオリンのように時代が流れて価値が生まれるとまた異なる、使い込み洗練されていくもの、という印象を受けました。
カンザキサツキです。
それは漆塗りの漆器が使い込まれて行く毎に美しさが増す形容でした。
それを話すその方が、その言葉が一番美しいことをきっと見ていた人は感じたはずです。
Twitterでも書いてる方が多かったです。
人も物もそうあるといいなと強く思うようになりました。
それは自身が若いこそ全てと言われ続けたことにもあるのかもしれない。
生きて行くことを優先し少し生活が落ち着き、芸の道にまた進もうとした折には大人と言われる年齢になっていた。
その時に10代じゃないと、と言われたことを強く記憶している。
特に年齢で制限されたり、若い人が好きな人が多い国だから仕方ないと思う。
それがとてつもなく今のコンプレックスの根にまだ居座ってる。早く滅びろ。
重ねて行く年齢と共に色や香りを放つ人になれるのだろうか。模索を始めた。
歳を取ると言う日本語が嫌いです。
そう言うたびに何かを奪われていく感覚にいつかしらかなりました。
実際歳を1つ重ねることは足し算されいくのに、取るだと引き算に感じてしまう。
自分が年齢を重ねて行くたびにもちろん物理的な若さは失って行くけども、
何か代わりに積み重ねるものはあるだろうか、濃さを増すものはあるだろうかと考えています。
今考えてみてもパッと思いつくことがないからきっとまだまだ薄っぺらいのだと思います。
いつまで生きるかわからないけど、
今日より明日が微々たるものでも重ねて色濃くなれるように努力したほうがいいんだろうなとふんわり考えているけど、
思ったらその日から始めるが吉だと思います。よし始めよう。
歳を重ねて行く過程で気づいたことが一つある、外観しか見れない人は虚しい人。
そう言う風に思って壁を作るようにしています。
人は平等に一年に一回、年齢がひとつ上がります。
ペースはそれぞれでも見た目に変化が伴います。
そして味が増すのか、薄くなるのか、大きくなるのか、小さくなるのかそれぞれです。
その過程の全てを、たった一言、「ババアじゃん」で済ます人も少なくないのは事実です。
そうやってでしか見れないは虚しいことだと、
どんどん視野が狭まって厚みを削ってペラくなって行ってしまうのだろうと遠ざけるようにしています。
そうならないため、そう言われないため、そうならないためにも経年美化できるかわかりませんが、
自己判断でも濃厚な人生である人生を続けていきたいと思うカンザキでした。
前を向いて生きています。
これからも作品の中で永遠に生きて行く貴方がずっとずっと大好きです。