今日は祖母の誕生日です。
大好きな祖母(以下ばあばちゃん)については、いつもブログ記事に書いている通り。
ぼくにとって祖母は偉大な存在です。
ここでの生き方を教えてくれてる師匠でもある。
まだ小さな彼女の歩んできた大往生になるだろう人生は知らないことだらけだ。
ぼくより20cmも小さいのに偉大な存在であることは変わらない。
戦前生まれ、ずーっと会社員として働いてきた。
やんわり聞いたことがある。祖父母は戦後、駆け落ち同然で大阪に住んだ。
祖父も寝ずに働いていたそうだ。
戦後の庶民の生活が気になる、高度経済成長まで、
いやその後の庶民の生活の変化が気になる要因でもある。
ぼくが子供の頃でも両親共に会社員で共働きと言う家は珍しかったけど、
母の世代だとかなり珍しいと思う。
幼少期の記憶でも、祖母は残業代が出る限り働いていたから帰りは遅かった。
いつも先に帰るじいじちゃんと待っていたり、一緒にお迎えに行くのが楽しみだった。
うちの人が働き者なのは、間違いなく働き者の祖母と母の背中を見て育ったことは大きいと言える。
憧れるキャリアウーマンの姿は祖母と母です。
祖母はそんなに躾に厳しいわけではないけど、当たり前にできるように教えてくれた。
時にうるさなー細かいなーと言う時はあったけど、今もあるけど、
背も低いけど、腰も低い人だ。
そして家事労働についてはとても細かい、無駄は許してもらえない。
でもそれが嫌いじゃなかった。
母も姉も、早く亡くなった祖父も知らない、
ぼくとばあばちゃんだけの
「内緒でちょっと悪いことしよう」
の秘密の時間があった。
お下品に丸かぶりで魚を食べてみたり、
大人になってからは晩酌してみたり。
ちょっと悪くしていい、ちょっといいことがあるから
普段ちゃんとできるんだと言うことも教えてもらった気がする。
そんな素敵な女性になった人が見てきた世界を見てみたい。そんな祖母のことをいつも愛おしいと思う。
そして感謝しきれない。
まだ90年と言う価値観で、長生きしてくれたらとても嬉しいです。
ただ、今年は本当コロナウイルスのせいで、ばあばちゃんの楽しいが奪われたり、
ばあばちゃんとぼくの楽しいも奪われたりしている。
そして、本当なら毎年恒例お誕生日会も今年はささやかに小さく家族数名。
なんて悲しいのだろう。めでたい90年の節目。いや、毎年めでたいんだけど。
愛おしいからいつも一緒にいたい。
愛おしいから安心な場所にいてほしい。
その狭間で、ばあばちゃんが選んでいく選択肢をぼくは尊重したいと思うけど、
命に関わることは、ごめんね、厳しく言うかもしれない。
孫から言われることは、どうとられるかわからない。
ネガティブな風に取られたらどうしようと言う気持ちもあるけど、
愛おしいから、大好きだから、と言う気持ちといつもありがとうの気持ちで
今日は食べたいものをおうちで一緒に食べて、ケーキを食べて
幸せいっぱい腹一杯でおめでとうをしたいと思います。
人生まだまだ90年、そう思ってアグレッシブにコロナから解放される世界に向けていてくれたら嬉しいなと思いつつ、
しんどいを絶対言わない人だから、ちゃんとしんどいって言って欲しいなって思っています。
今日は朝から忙しい!
カンザキでした。