仕事で時間制限の中、後何着、後何カット必要と計算している撮られる時の仕事のクセが抜けないぼくです。
それはとっても大事なことで、今の仕事(会社員の方)に活かされてしまっています。
スタジオが何時間で、撮るアイテム数が何点で・・・などと言う計算ができるので、
全て仕事につながっている状況に正直吐きそうになってます。
仕事に愛されてるのに人間に愛されない。
カンザキサツキです。
それはある日の撮影会の出来事。どういう風に撮られたいか聞いていただくと、どう答えていいか分からなくなった。
普段折りたたみ猫背で地面にガン飛ばして生きてるような根暗なので
灯りを灯してくれて、焦点合わせてくれてありがとうございますしか湧いてこないし、
撮っていただくがお仕事で、撮っていただく中で楽しかったとなっていただくがお仕事だと思っています。
そして楽しんでいただけたことが自分んが一番楽しい時間です。
なので、自分の希望なんておこがましいと思っています。
ただ、その中で「どっちの角度が好き?」や「ここは撮って欲しくないところある?」
など優しい言葉をかけてくださる方も多く、それを回答すると、
そんなことないとデメリットと思っていた自分の場所を嫌いじゃなくしてくださったりと、
本当申し訳ないなと言う半人前の気持ちになってしまいます。
自分の在りたい姿はどうあるべきかと聞かれると、正直今じゃないとは言えない自分がいる。
可愛い系なのかかっこいい系なのかどちらの自分が好きかと大きく分けるとどちらか聞かれることがありますが、
どちらでも、楽しく記録していただくこそが自分の存在価値の時間である、
冷たく聞こえるかもしれないけど、それが与えられている業務であるので、
こちらが一方的な推奨をさせるべきではないと常に思っています。
ただ、自分の在りたい姿はどうかと言われたら、
こんな着飾って塗り固まってない、ありのままの自分の姿で自然の中で生き生き伸び伸びしているか、
猫背をこじらせて都会で空虚に生きているかのどちらかの姿だと思います。
世間一般的には綺麗じゃない美しくない有様が自分の姿です。
自分の仕事を自己都合にとらえることはできないし、たまに綺麗に撮ってもらえなかったや、こんなの自分じゃないとか言う方に出会います。
でもそれって誰のせいって、仕事できてない自分のせいじゃないかなって思うのはぼくだけでしょうか。
基本自分の全てがデメリットの塊の人で、なおかつ仕事人間だと言うのは理解しています。
周囲から冷たい人とよく言われますが、ぼくの価値観はこうだし、
仕事として被写体となっているならば仕事をこなす必要がある。
撮影会は楽しんで!と教えてくださったカメラマンさんの言葉でだいぶ救われ肩の荷が軽くなりましたが、
楽しくお仕事をと言う姿勢はこれからも変わらないと思います。
いつまでいれるか分からないけど、日々精進の気持ち。
できれば、撮りたいように撮って、こうしろああしろと言ってくださる方が自分はこなせると思っているカンザキでした。