最近仕事が忙しかった。
真っ暗な中水やりをする日々に気づきもしなかった・・・
いつ、君の命は刈り取られてしまったのだろう?
大事に、大事に・・・してきたことを、ばあばちゃんだけはきっと知らない。
そういうのが分からない世界にばあばは今生きてる。
一緒に日々を過ごさないことに一番悲しみを感じた。
やっぱり悲しいけど、ばあばが結果楽しいならそれでいいよ。
カンザキサツキです。
秋が深まり、愛情を込めて育てたシソの実の収穫を楽しみにしていた。
しかし無残にも、祖母に毟り取られ天ぷらにされ、葉っぱも、先端の茎ももがれたけど、
根っこだけは残していただいていた。
ばあばちゃんを「むざんさま」と言われるようになった個人的大事件である。
孫は酷く絶望したけど、仕方にない、ここは自宅では無い、祖母の家のベランダだ。
何も言えない。
どう言っても無駄なのだ。
もとい、一喜一憂するばあばの本能的な行動を全て肯定して生きていかねば、と思っている。
実際そうしないとぼくも家族も「保てない」
これについてはまた、別記事に書くかもしれませんが・・・そういう環境です。
このまま大事に来年の春まで大事にしろと言われていた。
それは種(祖母は実と言ってたけど既に種でした)ごとを取る時、だいぶ土に還してしまったから、
残ってるこの土と、葉っぱも全てもがれた茎だけのこれを大事にするように言われてました。
言われたいたので、水やりを怠らず過ごしていました。
そんな矢先の出来事をご覧ください。
根っこから抜かれてた・・・。
ばあばちゃんは言いました。
来年の春まで大事にしろと。
ばあばちゃんは言いました。
来年の春まで土ごとこのまま置いておいて大事にしろと。
ベランダで打ちひしがれました。肌寒くなってきた夕方まで、愛犬に付き合ってもらって、
ただただこの姿を眺めていました。
ただただ、悲しかったけど、仕方ない。ここはぼくの家じゃ無い。
きっとこの土の中に、まだ種はいると思うけど発芽しないと思い、冬の間のために
同じ土で水菜を植えておきました。
悲しみが嬉しさに少しでも変わりますように・・・。
そして、美味しく水菜たっぷりの鍋をいつでも食べれるぐらい水菜にベランダがあふれますように。
※ばあばちゃんは何も悪くありません※
紫蘇太朗と人生はこちらに記しております。