祖父が死んでどれぐらいの年数が経つのだろう。
いまだに鮮明に覚えていることが多い。まだ小学生だったのにすごく鮮明だ。
入院中の祖父が紅茶花伝を買ってくれたこと。
それが今でも忘れられずしんどくなったら飲む自分。
祖父が亡くなった後の、家の重々しい空気と、元気を出してほしくて江頭2:50さんの真似をして家の中を盛り上げようとしていたこと。
棺桶に入れたものも、納棺の前に触れた祖父の布団がまだあったかかったこと。
書ききれないぐらいの子供の頃の思い出の中で、戦争の話がご法度だったことと、
アメリカの土地に踏み入れることを許さなかったことは今ならよく理解できるけど当時のぼくは子供すぎたこと。
そんな祖父の命日です。
大好きなおじいちゃんの年齢に母が近づくにつれ、もの寂しくなる日もあります。
母ちゃん、長生きしてね。
カンザキサツキです。
昨年もコロナ禍にありましたが、まだ緊急事態宣言が発出されていなかったので家族で命日前に墓参りに行きました。
今年は一応、やっぱりと密にならないよう二班に分かれて現地集合にしました。
昨年の命日に書いていたことは、まだ解決はしていませんが、
強制的に全てを呑み込み耐えるしか無くなった状況になったコロナが憎いと思います。
でも、結果揉める要素ごと呑み込むしか無くなったのは良かったのかもしれません。
自分の気持ちにも矛盾が生じています。
祖父の仏壇の前で家族でまた鍋囲んでワイワイできる日を心待ちにしている孫です。
おじいちゃんへ言いたいこと、話したいこと、愚痴りたいことは全部墓前です。
ごめんよ、いつも愚痴ってばっかだね、じいちゃん。
お化けとか霊とか、前世とか、そういうの一切信じてない自分だけど、
こういう時だけ縋りたいのは、本当卑怯だと思います。
でもいつも心の中に祖父がずっといる。
それだけで頑張れたり、頼れたりするわけです。
本心を言えば化けてでも出て来て欲しいし、有り得ないけど漫画みたいに転生して会いに来てほしい。
成長した自分を見て欲しいなって思います。
人を笑わせなさいという遺言、笑顔で賞をとったことを今年は報告したいと思います。
命日はやっぱりしんみりもの悲しい。
孫がこれだけ寂しい気持ちになるのだから、父を失った母はもっと悲しいだろう。
伴侶を失った祖母はもっともっと悲しいだろう。
節目節目を大事にしたい。
今日は祖母と母と少しの時間だけど過ごしたいと思います。
カンザキでした。