タイトルのままです。
自分の暮らしてる大阪は、まん防(まん延防止等重点措置)が発令され、
緊急事態宣言に近い状況下にずっとおかれています。
素直に、怖いし、辛いし、悲しい。
それでも自分には愛犬がいるから、まだ寂しくない。
カンザキサツキです。
まん防が出たから、楽しみにしていたGWの岡山に帰る予定はなくなった。
こちらから言うまでもなく、明日からまん防と言うタイミングで親戚から
「残念やな…」
と電話がかかってきた。
残念と言う言葉に、帰ってこないでねという意味が含められてることを察したし
2年間帰れてない山の家の無事だけでなく
普段電話で元気そうな声できっと元気と思うしかない親戚にも会いたくて仕方ない。
昨年末に帰るたびに会っていた親戚のおばが亡くなりこのご時世だから死に目にも会えず、
もちろん葬儀にも行けず、49日も行けず、
本当に死んだのかなという実感のなさは虚無でしかない。
自分の生き甲斐である田舎へ帰れるために都会で努力する、の生き甲斐を失ったまま1年があっという間に過ぎた。
鬱なんじゃない?と言われるぐらいぼーっとしてる時間、健忘、無気力が最近増えた。
それでも生きていくたまには働くしかない。
いつか必ず帰れると信じて歩き続けるしかない。
前を向いて生きるしかないと必死に言い聞かせる日々です。
そして何より高齢者と関わる我が家は感染予防は必達で恐怖に怯える時間をずっと送っているから遊びに行ったりしてるのを見たり聞いたりすると取り残されてる錯覚に陥る。
自分達だけ、暮らしてる世界が違うのではないか?自分達だけ過剰なんじゃないか?
自分達がおかしいんじゃないかと錯覚する時が少なくない。
かと言って、遊ぶのやめとこうといって理解してくれない方もたまにいるし、
やめとこうと言われることも圧倒的に今年になって減った。
慣れなのか、それとも自分達が過剰に怖がっているだけなのか、もうわからない。
【まん防<緊急事態宣言】という価値観と、どこか【よその街で起きてること】ぐらいの錯覚を自分も感じる時がたまにある。
自粛に飽きたとかじゃなくて、何も変わらなさすぎて現実がどうなのかわからなくなる時もある。
飲みにいってる人は飲みにいってるし、マスクしない人はマスクしない、
暇だから遊ぼうと誘う人はいるし、コロナは風邪だからといってくる人もいる。
コロナに罹った人もいる、後遺症しんどい話も聞く。
そういう世界なので現実がどれかわからない。ずっと自分の生活環境は変わってない。
そしてまん防と緊急事態宣言、言葉の強さもやっぱり緊急事態宣言の方がより厳しく感じるけど実際どちらも同じ、厳しいものだ。
そうあって欲しいという正常性バイアスなのかもしれないけど、やっぱり自粛してる人は、
自分の狭い交友関係では1年前に比べたら少なく感じる。
ただただ怖い。見えないものも特効薬がないことも怖い。
何より家族がかかったら、怖い。辛い。コロナは怖い。
その気持ちが「正常」だと思って生きているけど、どうしても一人置いてきぼりな錯覚に陥るけど
出かけるのやめない?と強く言う勇気もあまりないから誘うこともやめておこう、それで友達減っても元々少ないんだ、きにするなと自分に言い聞かせてるカンザキでした。
電車は混んでいて、しんどいです。正解が欲しいです。
今日から大阪は府内全域自粛要請ですが、自粛する人はするし、しない人はしないと思うので自分は自粛に徹します。