正直言えば、自粛しんどい時もあるけど
社会的距離をとりましょうとか、人混みを避けましょうは自分にとっては好都合。
サクサク単独行動、少人数行動で静かに生きていきたい自分には、
必要最低限でいい人付き合いが助かる時が多い。
それでも友達には会いたくなるけど、要請は要請だから守が市民の努め。
そして、守っているから愚痴こぼすと、守ってなくて愚痴こぼすは大きく違うと思ってるけど、
なるべく愚痴をこぼさないようにしてる。
ただ、周囲の変化が怖い。これは良く言っていることです。
ぼくは1年前と同じく「不要不急」を守ってるだけ。
カンザキサツキです。
昨年の緊急事態宣言下だった今頃はもっと1日あたりの感染者数も少なくて、それでもみんな自粛してた。
未知という名の初めての経験に必要以上に恐怖した人も多かったと思う。
マスクポリスとか自粛ポリスとかなんたら警察みたいな言葉があったぐらいジャスティスさんがいた。
そして、みんな家にいた。ステイホームでリモート飲み、なんてものが流行っていた。
そう、閉まっていたとはいえ、ちゃんと自粛してた人が目立ってた。
その時から、自分は何も変わってない。それだけで、実家の家族も同じである。
慣れなのか、自分がかからなかった安堵なのか分からないけど周りが変わった自覚はある。
自粛が弱まったり、再度行動を締められたり、そういう変化が一番ストレスになるのは、コロナ禍以外に置き換えてもわかること。
上の指示がすぐ変わる仕事などは嫌気がさす。
そして何より、慣れなのか、自分がかからなかった謎の安心や自信なのか分からないけど
自分は大丈夫だろうという感じの言動を近くで感じることも多々ある。
最近自粛してへんわ〜などとヘラヘラ笑ってる姿に、変わったなーと思う。
自分が変わってなく頑固に頑なに古いのか?と思えど数の正義でいうなら
圧倒的に数は増えてる。
1日あたりの検査数が増えようが減ろうが感染者数が少ないこそが正解だと常に言い聞かせてる。
遊びたい、出かけたい気持ちもわかる。
でも、自分は絶対に大事な家族や友人に迷惑や不安をかけたくないし、相手に自分が無症状感染だったらというリスクを増やしたくない。
見えないものなのだから自分がどうなってるか分かるよしもない。
昨日現在1000人をゆうに突破した大阪に住んでいても変わらず週末暇?の連絡はくる。
どうかしてると思ってしまう。
遊びたいなら遊べばいいけど、自分は遊べないとハッキリいうことにした。
もちろん上記のリスクのこともあるし、祖母のことは非常に多いし、
もし自分が感染者になってしまったら、
・仕事を休まないといけなくなる
・職場も消毒のために保健所指示のもと許可が降りるまで休業になる
・給料がなくなる=生活ができなくなる
この3つに対して、誰も責任を負ってくれないし、自分の生活の困窮という責任と
会社が動かない日数分の売り上げを考えたら怖くて仕方ない。
そういう価値観で生きてる自分はおかしいよ、もう病気だよ、遊ぼうよ!って言われましたが、
自分は自分の価値観で引きこもって自粛して、家族や友達に会えなくても我慢します。
あと少しだ、あと少しだ、の先は長いかもしれないけど、もう少し周りをみて
最悪の状況を想像して、回避する能力をあげて欲しいなって個人的に思ってるカンザキでした。
命は一個しかない。それは自分も相手も同じこと。
1日も早くコロナが終息に向かいますように。