ちょこちょこ書いてますが、私生活で関わりを持ってる友達のSNSをフォローするために持ってるアカウントはほとんど呟くこともない。
けど、たまに呟いていないと心配かけるから何かしら呟くようにしてたけどそれも疲れてる。
颯希としてやっているアカウントも、先月ちょっと毎日更新じゃなくした時に思った、感じたことを書いてみます。
カンザキサツキです。
Twitterのアプリを開く頻度が減ったらよく寝れるし、心が健康になった気がした。
これに尽きます。
仕事につなげるため、応援してくださってる方に元気な報告をするため、
世間から、世界から取り残されないため、
そんなことを感じながら、考えながら日々呟いてたと思います。
それが日課になり、当たり前になる中でも結構呟くのに時間を要する日もあったり。
毎日絞り出さないでいいと健康なのかと言われたらそうじゃなくて、
心ないコメントやDMがしんどいとか、それもなくて、
それはもう慣れっこなので、どうってことないと思っていましたが、
気がついたら重荷になってることが積み重なっていたのだと感じました。
結構寝れない原因でもあったようです。
夢でツイートしなきゃって言う時もあったぐらいなので。
自身はリアルを重んじる方なので、友達とSNSでやり取りするより会いたい人。
このご時世、それも叶わないけど、友達の「なう」や「思い」的なものを見るのもしんどくなってた。
会えないのに、しんどい発言をどうにかしてあげたくてもどうにもできないし、
しんどいしんどい系を言ってるけど、実際楽しく遊びに行ってたりのギャップにびっくりしたり、
見ない方が、友達の知らなくていい事あるのかな?と思ったりもした。
そして颯希としてやってるTwitterが自分の全部だと思ってる方がいたりすることにびっくりしたこともあります。
このご時世、SNSやっていないといけない、マスト的な価値観で位置関係が一番しんどいのだと思った。
LINEもほぼ使わない自分にとって、安易にすぐ発信できて連絡できる手段、
ストレートに投げれる手段や手法がしんどいのですが、
Twitterってまさにそれな感じがしながら使っています。
独り言でいいじゃん?っていう自己の価値観と全く逆で、構って欲しい、構いたいという人もいる。
どちらかというと自分の周囲は後者が多くて、コメント(リプライ)やいいね(ハートボタン)を押して欲しいという人が多い。
そのギャップに、どうしていいかわからない時もある。
でもそれが習わしのようだし、やってないと話題に入れないし、でもしんどいし。
情報を得るには便利だし、友達を作る術も簡単になったようだけど、
友達とフォロワーさんは違うとかいう人もいるし、愚痴垢とかもあるし、
可視化されたリアクション、反応にもマウントを撮られることもある。
どうでもいいことネチネチ聞いてこられたりする。
関わっていかないと、なんか勝手にTwitterだけブロックされたりもする。
結論から言うと、淡々と仕事やきっかけ作りにやるべきものと言う価値観でこれからも使っていると思います。
しんどくても、自分は仕事のためにTwitter以外にもSNSを活用しています。
本業も副業もやっていないといけない状況というのは変わらないです。
そしてやってるかやっていないかで収益が変わるのが嬉しかったり悲しかったり難しい感情な感じです。
馴れ合うのは、リアルな距離感で行いたいので、これからもやるべきものであるという考えでちょっと義務的に開いてると思います。
距離を置いてどっぷり浸からないように生きていかないと価値観や視野が狭まりそうです。
画面の外にいつもアンテナを張っていたい、画面の外側をずっと見ていたい。
より強く感じるきっかけにもなりました。
休み休み更新しながら、上手に付き合って行きたいカンザキでした。
SNSに疲れてるのに、なんか色々やってます。