犬と一緒に暮らしている中で、終わりは迎えたくないけど
生きている以上必ず訪れるそれの日はそう遠くない。
それを最近強く感じる夜が増えるようになりました。
若い頃、もっと一緒にたくさんお出かけしたり時間を過ごせばよかったと
やっぱり後悔は終わらない。
今は1秒でも長く一緒にいれる時間をくっついて過ごしたいと思う。
カンザキサツキです。
ペットロスが怖い。ただひたすら怖い。ペットロスどころじゃなく生きていく理由まで失いそうだ。
大往生だ!と言うぐらい生きてくれてます。
病気を抱えながら、それでも本当に平均的な犬の寿命を飛び越えてくれてる愛犬に、
お疲れ様!と送ってあげてる気持ちは持っているつもりで日々を過ごしています。
その反面、人生の全てを今、犬にかけてる自分にとって、
生き甲斐を失うことへの恐怖と不安と焦りがやってきています。
少しでも「たら」「れば」の後悔を減らすにはを模索しています。
こたが望むこと、こたがやりたいこと、こたと一緒にいたい自分の気持ち
全部を埋めていくことは厳しいし、すごく難しい。
特に自分が一緒に居たいと言うわがままな気持ちに寄り添ってくれる虎太郎の体調だけには
寝る時間を削ってでも気をかけてるつもりです。
夜に徘徊しても、歩くのがやっとこさの最近の転倒を支えるのは自分しかできないこと。
16才の愛犬の「野生の本能」を垣間見れる瞬間、少し遠く感じることがあります。
家庭で飼われている、犬です。
夏だろうと毛布が大好きな犬です。
若い頃は自分で扇風機の電源をオンにできた野生と無縁な言動の犬です。
先に書いた、歩くのがやっとこさになってきた下半身の弱り具合で、
派手に転ぶこともあります。
クッションマットを敷いているのでダメージは少ないと思います。
それでもなるべく支えるようにしているのですが、
彼の本能でしょう・・・
座り込むようにして誤魔化す素振りを見せたり
必死に立ち上がろうとしたり
立ち上がらない下半身を引きずってでも自分の縄張りに戻ります。
室内で飼育されてる犬なのに、野生の本能丸出しなところに
甘えないそぶりに、野生を感じてはちょっと寂しくなる時があります。
(とは言え勝手にベランダに出るし、山の家に帰れば勝手に玄関開けちゃうんですけど)
以前は欲求吠えをしていたのに、最近は自分でなんとかしようとしています。
母ちゃんちょっと寂しいよ。
ほとんど寝てる、動かない、尻尾もぶんぶん降らない、活発じゃない老犬の今を受け入れて同じ目線で生きていきたい。
いくら振り返っても若さは僕同様に返ってこない。
今を生きてる姿を受け入れて、同じ目線に合わせて生きていこうと思います。
何も食べない、じゃあ何なら食べれる?
半日前食べてたものはもう飽きたと食べないことに怒ってる暇もないし、
きっと残りの時間をなるべくたくさんの種類のおやつやご飯を食べたいのだろうと思考を切り替えよう。
きっとぼくも残り時間が分かり始めたら、そうするもん。
間違いなくペットロスというか虎太郎と一緒に人生を歩めなくなった後、
ぼくは人生の全てのやる気を見失うことでしょう。
少しでも彼が望んでそうなことと、
少しでも自分が望んでる1秒でも多く思い出を残していくことを
積み重ねて埋めていかねばならん。
きっと次の夏はないと思うぐらい、愛犬の体調は思わしくありません。
今日と今夜の徘徊に備えることぐらいだけど、
明日もきっと寝不足で会社に行くのだろうという覚悟で一緒に生きてい苦しかできないけど、
毎日を出来うる限り積み重ねている最中のカンザキでした。