大阪に住んでいて、まん防が延長になりそのまま緊急事態宣言に移行しました。
一市民にとっては自粛し続けてる人にも、自粛してない人にも正直その変化はあまり伴わないものだと思います。
だって、ずっと努力しましょうね、協力しましょうねだけで出歩いたら逮捕とかも何もない。
最初は10万円を対価に自粛した人が非常に多かったと思います。
ぼくは家族や自分の命を対価に遊びたいとは思わない。
今だけで生きてないんで。明日のために生きてるんでね。
家で鍛える方が健康的だと思ってる。
カンザキサツキです。
この国の有様に不信感をよりいっそう抱いている人は増えたと思いますが、自粛しないのは思う壺だと思うのです。
校長先生の長い話のように、黙るまで続くんだと思うんですよね。嫌なこと。
革新的な薬や治療方法を待つだけの姿勢って昔ながらだなって思いながら、
そして自粛なんてやってられっかっていう行動をする人も校則守れないにわか不良風みたいなダサさあるよなって思ってます。
大人しく我慢してる自分が偉いってわけじゃないけど、ぼくが思うのは、
コロナにかかる(医療費3割負担)
会社を休む(社会保険組合から申請すれば傷病手当が出る)
仕事を失う可能性がある(雇用保険から失業保険をもらうけど失業保険減額されてるってぼくも知りませんでした)
という権利を行使しまくった結果、後々税金として自分たちが補填するんだろうなって。
そしたらまた国に税金として持っていかれんだなって。
自分で自分の首絞めるようなら、大人しくしてよう、これ以上剥離な給料から持っていかないでくれよって思うのです。
何よりこのご時世で仕事失うのが一番怖いです。
だって、法律で自粛のお願いしかできない、お願いベースで他力本願して最終の皺寄せって全部国民よ。
だったら早く終わらせようぜ・・・。って思わないのだろうか。
もうこれだけ我慢したから良いでしょっていう個人の判断で迷惑かかる範囲は個人だけじゃなくて他人であるのが今回のコレなわけで。
机上の上で話をしてる人に、一般市民の生活レベルは分からないし、限界値も分からない。
協力金を払えば良いだろうってものでもないし、支払いが遅すぎる場所は本当困ってる。
協力金だって申請が必要でオートで入ってくるわけでもない。
不要不急の匙加減もそれぞれなのは生活スタイルなどが異なればそれぞれだけど、
旅行って今行かないと死んじゃう?って思う反面、旅行に行かないと旅行会社やホテルや旅館が死んじゃう(潰れちゃう)っていう矛盾も生じてる。
でも結局、数が増えたら国民が我慢して耐えるしかないのはなんか違うよなって思うばかりです。
親戚の死に目に会えなくても帰れなかったけど、死に目に会うための外出は不要不急だと今でも思う。
このご時世だから葬式に行けなかった。お別れもできていない。
そんな人がたくさんいるし、自分もそうです。
帰省は自粛してっていう中で旅行に行く人がいる謎のお盆を送るのは2回目です。
死に目に会えなければ、葬儀も行けない、初盆も行けないまま、納骨まで済まされたら
何を以て死を実感するんだろう、受け入れるのだろうと自分自身思っています。
少し前に愛犬を亡くしたけど、やっぱり遺骨になると、物理的に受け入れることができたけど・・・。
不要不急って言葉の意味がもう分からない。
まん防でも、緊急事態宣言でも同じく不要不急なわけで、それでも遊ぼうと誘われたりするわけで。
職種的にそれができないことを知ってる人からも誘われるわけで。
でも不要不急だからで断ると友達消えるわけで。
ずっと緊急って思ってる人はもういないのでしょうか。
ずっとやばいって思ってる人は、もういないのでしょうか。
ちょっとなら出かけても・・・って言うのに一度付き合いましたがただただ怖かったから本当申し訳なかったなと思います。
不要不急の外出自粛してる自分が悪いみたいな感じじゃないことを願いたいです。
ただ、ワクチン接種終わったらまず山の家の無事を確認しに行かないとと思ってるカンザキでした。
やっぱり山の家に行けば、一切会わずとも親戚は2週間外に出れなくなる矛盾の世界はいつ終わりますか?
マスクしてた方がコロナやろ!って言われた時がもう懐かしい・・・。