親しき仲にも礼儀ありと、昔の人たちが言ってることを、ぼくは信じてる。
親しい人ほど、気心知れてる人ほど、気を遣う。
大事だからこその行動だと思うのです。
それも愛犬が教えてくれたことでもあります。
カンザキサツキです。
常に思うのは大事だから心を配る、気を使うじゃなくて遣うということだと思います。
ぼくは大事な人を傷つける人が嫌いです。
みんなと仲良くすべき場所で仲良くできない人が嫌いです。
小さな子供だって当たり前にわかってることができない大人が嫌いです。
シンプルな生き方で好き嫌いを判断して生きてます。
礼にはじまり礼に終わるまで言わなくても、相手に感謝していればそう勝手に体が動くものだと思います。
大事だからからこそ、その関係を維持するために努力はするし、常に思いを馳せたりするわけです。
家族でも、友達でも、推しでも、勝手に好きな人や場所でも。
相手あっての自分なので、相手を優先すべきが自分の生き方です。
遠慮がないっていうのはいい意味ではいいように思われるけど、悪い意味では本当に悪い。
遠慮せず我儘を振りかざすのはちょっと違うなって思うのです。
それは自分が上に立って、自分が優位であるという誇示でしかないと思うのです。
それは大事だとか好きだとかいう行動と思考と異なると思うのは自分だけでしょうか。
すごく不快に思うから、ハッキリ言っちゃう時があります。
申し訳ないけど、なんでもハイハイ聞いてくれる執事でもメイドでもなければサンドバッグじゃないです。って。
自身の経験ですが、遠慮しない関係と言ってみてはそういう言動をする人は「I」の人で、
一生自分の気持ちや言葉を聞く耳も受け入れてくれる間口も持っていないと感じるのです。
だから自分は大事な人ほど、どうしたい?って聞くし、相手が喜ぶことをしたいと思う。
別に自分にそうしてくれと思わないし、言わずながら家族や友達はわかってくれてるから自分が何かしたいというタイミングを察してくれる、ありがたい。
遠慮がないじゃなくて気兼ねがないという言葉が好きです。ぼくもそういうようにしています。
気兼ねなくお願いできる。
気兼ねなく誘える。
気兼ねなく断れる。
気兼ねなくお話ができる。
そういう方が、自分はしっくりきます。
親戚のおばさんがよく遣う言葉なのですが、自分はこの言い回しがすごく好きです。
対等であれとは思いませんが、無駄に威張る人は嫌いですが、人と人は平等でありますので、
日本っていう国の文化は難しいものでありますが、
とにかく横暴な人は嫌いだなって思います。
そして家族や友達はこれからも大事にしていきたいなって思うのです。
こんな世の中だからこそ、会えない時間に気づくこともたくさんあります。
思うまま、なすがまま、あるがまま生きて行けたらいいなと思いながら今日も心を殺して出社する矛盾を抱える大人、カンザキでした。