昔から順位をつけられることが好きじゃなかった。
それは自信がいわゆるゆとり世代齧ってるからなのかなのかもしれないし、
運動会の徒競走で一番になったことがないからかもしれない。
特にランキング争いが好きな人が自分は嫌いです。
優劣をつけるようなことでその人の本質になるのか否かと思うことが多い。
髪色暗くするとメンタル弱そうとかオタクっぽいって外見ですぐ言われる人、
カンザキサツキです。
営業成績はトップであることが社会人としての義務だと思ってるけど、この一番って自分だけのもの?って思って生きてきた。
ずっと疑問だった。社員だからトップであれとか、店長だから一番苦労しろとかいう根性論の上司も過去にいた。
ずっと疑問の中で生きてきたけどいい上司に出会えたからかもしれない。
この記事に書いている上司のおかげで救われたこともあるかもしれない。
店というのは個人プレイじゃなくて、会社というのも個人プレイで成り立ってるものではないと教わった。
自分の売り上げには同じく働いてる人たちの協力無しにはできないことだと自分は思っています。
なので個人が一番であっても何も嬉しくない。他のみんなを褒めてくれと思う。
1位になったご褒美でよく吊られてるなと思う。もちろん1位には何か魅力的なものがあるけどその先にさらにより良くつながるか不確かだし時折その人の業が見えたりして虚しくなる時がある。
1位には賞金や権利が与えら得ることがある場面にいることがちょこちょことあった。
確かに何かで表彰されたり、商品なり賞金なり権利を得るということは大変素晴らしいことだと思う。
最近特に思うのは、その先につながる何かがあるかと言ったらそうでもなかったりもする。
良くも悪くもゴールであって、そこでお開きということが多い。
自分がのし上がるために周りを見ないだけならまだしも貶したり比べたりする人もいる。
自分はそういう人を応援したくないなって思っちゃう性格の悪さを持っているからかもしれないけど、美しくないなって思ったりもする。
1位の結果のために失うことが多い人もいるし、1位や数の正義で自分が優位に立った感じを出されると一気に冷めちゃう。
ぼくはみんなが均等に楽しくて、みんながそれぞれ一番がいいから、一番もアクション数もいらない。
そう思って生きてるし、生きていきたい。
もちろん、何かそういう場面にいるときは、アクションが評価に繋がったりもするけど、無理にいいようにして欲しいと思わない。
よかったよ、応援してるよ、なら自分は勝手に票を投じるように、他の人もそうだと思う。
あくまでフラットな状況で、いただくものだと思うし
数の正義で負けだと言われても、悲しむことはないと思う。
しかし向上心がないわけじゃない。
前回の結果や状態より次は良くなるよう、研磨されるよう努力を続けていけばいいと思う。
大人の社会は誰かとの戦いってより自分との戦いの積み重ねの結果だと思うので、
あまり誰かとか何かとか無駄なカロリー消費をしたいと思わないし、
マウントとるような小さな人間でいたくないなと思う、カンザキでした。
自ずと結果は現れるし、磨いた先に何かが光って誰かや何かの目に止まるものだと思っています。