今年の8月7日に変わった頃だと思います(自分寝てしまってて気づけず)
愛犬であり、最愛の息子である虎太郎がこの世をさりました。
夏の暑い日でしたので、その日のうちに火葬できたのは奇跡だったかと思います。
なくなったであろうあたりの時刻から半日後には、もう火葬が終わっていました。
ぼくたちは誰が何と言おうと最強のコンビでパートナーだったと思います。
カンザキサツキです。
悲しくなかったと言ったら嘘になる。すごく悲しかったし、毎日何も刺激のない日々を2ヶ月送っています。
涙をこぼすことはないものの、朝早起きして散歩や投薬もなく、
一緒にベランダで日向ぼっこすることもなく、
会社から心配で急足で帰ることも無くなりました。
それが当たり前になっているのか、いないのかわからない程度の無気力の虚無の生活です。
悲しいっていうより何も刺激のない日々を送っています。
おかげで体調不良だけはかなり直撃している状況です。
犬がいるってすごいなって思います。
それでも家に帰れば、骨壷に入った虎太郎にただいまと言い、仕事に行くときは行ってきます。
そして水や生前好きだったものを供える日々でした。
このままいつまで置いておいてやればいいのかと思いながら、早すぎるのではとおも思いながら、10月9日に埋葬しました。
まだ家に居させてやってもいいぐらいのスピードだと思いますが、来春まで骨の状態で家に置いておくのはかわいそうと思ってしまうばかりです。
でも個人的には本当に一人ぼっちの生活になることを受け入れる必要があるわけで、かなり悩みました。
でも、こんな小さくて狭いツボの中に入れられている状況で留めておくのは、ずっと一緒に生きてきた自分なら嫌だなという強い気持ちを信じて埋葬することにしました。
虎太郎より少し前にまだ4才の若さで亡くなったチップと一緒に山の家に連れて帰り、
代々の我が家の犬たちが眠っている場所のすぐそばに、埋めてあげました。
離れていることは非常に寂しいのですが、何度見直してもぼくも愛犬も山の家が大好きでした。
5月でもストーブがまだいる寒さ、
8月はエアコンなくても過ごせるとはいえ、年々昼間は暑くなってきて、
寒がりでストーブの前占拠で尚且つ湯たんぽつきといういい待遇と、
暑がりではないなりに犬なりに暑かったと思いますが、幸せそうにいつも玄関先に出てはお昼寝したりお散歩している姿がとても印象的だったので、
ここに早く埋葬してやろうという意思は割と早く固まりました。
犬と一緒の墓に入りたい気持ちは飼い主的にはありますが、愛犬に聞けたわけではありません。
なんならぼくが死ぬ頃には、きっと母も祖母も居なくて骨を拾ってくれる家族が残っているかもわからない状況です。
だったら、先に彼が好きだった山の家の庭に、大好きだったけど構ってもらえなかった先住犬たちと一緒に今度こそ楽しく過ごしてくれたらと。
そして来世が彼にあるなら、来世では幸せな人生なり犬生なりを送って欲しいと、そんな気持ちです。
改めて、自分は虎太郎によくしてもらった人生だとおもうのです。
いい飼い主でもいい母ちゃんでもなかったです。
それでも虎太郎が教えてくれたこと、励ましてくれたこと、慰めてくれたこと、
何よりずっと寄り添ってくれたこと。
その積み重ねで、ぼくの価値観や生き方はよくなったと思います。
そして何より、虎太郎がいる時間の全部が愛おしかった、楽しかった、幸せだった。
これからもその思い出とともに、生きていけると思います。
これ以上犬と暮らすことは多分だけどないと思います。
最期を看取るとか介護とか、そういうこともありますが、虎太郎以上は絶対にいない。
また、きっとどこかで再会できるか、お話しできると信じて、
一人で気張っていこうと思います。
チップと虎太郎は、お隣同士で、少し左を向けば青空が見えるようなところです。
本音を言えば、母ちゃんとひとりにしないでおくれという気持ちですが、
心配をかけないように颯爽と生きていかねばという決心もつきました。
これからも忘れないでいてくだされば嬉しいです。カンザキでした。