ヘルパー2級から初任者研修に変わって、一番大きく変わったことは「尊厳」だと思う。
昔は、医療でも介護でも患者「さま」でも利用者「さま」でもない人が多かった。
そしてお医者「さま」が偉かった。
いい意味で利用者さま、患者さま圧倒的優位ならいいけどそうとも言えない現実もあることも
自身の経験で理解してる。
圧倒的おばあちゃんっ子です。
自分のばあばちゃん以外もじいちゃんばあちゃん大好き、
カンザキサツキです。
祖母は誰かの助けがないと今までの100%自立し自律した生活が難しいお年頃。それを日々愛おしいと思ってアシストするのが孫の楽しみ。
時にマジで本能で生きてんのなって思うことも含めて、
愛おしくて仕方ない大好きなばあばちゃん、祖母がいます。
あまりに手を出しすぎるのも良くない、出さないのも良くない。
しっかり見過ぎてもダメだけど、手を出してない風アシストをする必要がある。
今までたくさん手をかけてくれた祖母の生き様を尊敬して尊重しているからこそ、
そこを崩さないよう日々サポートしているのが我が家のサポート体制です。
いいパスを出せないと自分にすごいしっぺ返しのようにやってくることもあるけど、
その積み重ねが家族なんだろうなって祖母が教えてくれているような気がしております。
大事なのは、成熟した大人であるということ。人生の経験値の豊富さと受け止めた過程を忘れてはいけない。
できていたことができなくなる苦しさを、自分はよく知っているつもりです。
それは自身の職務経験じゃなく、自身が寝たきりの生活、介助なしにはトイレに行くこともできない経験故です。
ゆっくりならできる、できない、徐々に段階的にならできるは全く別物。
どしらにせよ一人称は「私」じゃなくて「あなた」であると思っています。
その中で噛み砕いて呑み込んで、受け止めた「あなた」のための全ての行為であると思うので、
「あなた」の気持ちを優先してこそだと思うので、自分が忙しいからや、
自分が良かれと思っては、まったくもってあなたのためじゃないということを忘れてはいけないし、
今まで通りにできなくなったとしてもこれまでの経験や実績、成熟するまでの過程であり人生の先輩であることを忘れてはいけないと家族間でも強く思います。
特に他人様に対してならもっと強く、
その事実を常にこぼれそうな水量のコップを運ぶぐらい丁寧に考えないといけないし、
こぼれない道と速度を選んで素早く行動を起こさないといけない。
それが尊厳だと自分は勝手に思ってます。
正直尊厳なんて言ってらんないぐらい、介護も医療の現場も大変です。それも理解しないといけない。
忘れてはいけないことは、
介護や医療、看護の分野のプロの「尊厳」であるとも思います。
正直、うちのばあばちゃん医療職出身だからすごく目につく、気になることがあるようです。
それがプロの仕事を妨げているんじゃないか・・・申し訳ないなって気持ちが高波か!?って勢いでやってきます。
家族だからも、自分が仕事にしていた時期もあるからばあばの言ってることもわかる。
でも自分が家族だから、仕事にしていた時期があるから
プロの仕事がいかに大変だっていうこともすごくわかる。
あまりにも「さま」「さま」が重なって元々どっちが上とか下とかないんだけど、
どっちかが謙らないといけない時代錯誤がやってくる。
威張る殿様じゃないのに殿でいてください!と言ってるような、
誰が上座に座るか決めかねて誰も座れない状況のような、そんな感じです。
「尊厳」さまが浮ついて結局ふわふわしちゃってたら仕方ないやね。
貶さず、驕らず、甘えず、たんたんと、ありがとうの気持ちを忘れない、
見返りを求めない、代替え案や、代理品で賄ったふりをしないっていうことを
祖母だけじゃなく家族にも普段お世話になっている方にも対応せねばなって思うばかりです。
難しいは面白いに繋がると思って日々を積み重ねていっています、カンザキでした。