サツログ。

独身こじらせ干物でオタク、社畜の狭間で撮られることを仕事にしながら田舎暮らしの夢見人、カンザキサツキ(颯希)の日々徒然とひとり人生の歩み。

今でもやっぱり「生きていたら」という世界線を望んでしまう、何回目だろうじいちゃんのお誕生日に寄せて。

毎年、今日はおじいちゃんが生まれた日、ありがとうの日。

それはこれからもぼくが生きている以上、変わらない。変わることはない。

じいちゃんの孫でよかった。

じいちゃんより物理的に大きくなりました。

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孫、カンザキサツキです。

 

最近の悩みは、やっぱりおひとりさまのぼくのこの後の人生。今は母ちゃんがいるけどその先はひとりぼっちだ。

親元を飛び出して、行方不明になり、関係修復できて帰ってきて、今に至る。

当たり前のように毎日祖母と過ごしていたのがそうじゃなくなり、今は母と過ごす時間が増えた。

 

祖母と一緒に夕飯を食べていた頃は、今日という日は一緒におめでとうをしていたけど、

今年の今日は、わざわざ仏壇に手を合わせに行かねばならない、いけばいいんだけど

毎日の当たり前の流れにじいちゃんがいない生活だ。

 

父代わりでもあったおじいちゃんはぼくが小学校の頃に亡くなっています。

それからは仏壇に手を合わせるのが日課でした。

 

亡くなった祖父の年齢に近づいてくる母を、どう支えていけるかと、母がいつまでもいるという謎の錯覚とそうじゃない現実の狭間で揺れるこの頃。

そういう時、たまらなくおじいちゃんが恋しくなる。

生きてたらどうだっただろう、生きてたらどんな話をして、どんな価値観で生きていただろう。

こんなに冷ややかでぼっちの人生を歩まなかったのだろうかとか、他力本願に考えては

誰かのせいや何かのせいにしてはいけないなと歩みを戻そうとしたりします。

 

そんな中で、祖父の年齢に近づいてきた母がいつまで一緒にいるのか、いやいつまでも一緒にいるのだろうかとか、

自分の年齢ぐらいで「父」を「親」を失った母の気持ちはどうだったのか、考えるとどうしようもない悲しさや恐怖がやってくる。

 

自分は片方しかいないから、どうなるんだろうとか本気で思う。

 

やっぱり自分は遠い過去にお別れした祖父のことをこれからも尊敬している。と思います。

優しい人でした。器用な人でした。笑顔の素敵な人でした。

孫のことが大好きな人でした。物を大事にする人でした。

動物が好きな人でした。

そんな人に自分は一生かけてなれるわけないなと思いながらも、近づきたいと思います。

あまり人と関わることが得意じゃないから、動物やものに優しく穏やかに生きれる人になれたらなと思います。

 

そんなこんなで、今日は悲しい日じゃなくておじいちゃんが生まれてきた日ありがとうの日だからいつも以上に笑っていきたいと思います。

 

色々おじいちゃんが遺したものを受け継ぐために動き始めているので、来年は忙しくなりそうです。いい意味で充実できそうなカンザキでした。

おじいちゃん、大好きだよ!

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