ばあばをリリースリコレクションしようとしてしまいましたが、大丈夫自分はそのレベルに到達してない。
SAO(ソードアートオンライン)しってる人しかわからない話ですみません。
カンザキサツキです。
ばあばと過ごす時間の変化は、新しい気づきもあったりします。言い間違えたエンパワーメントを意識する必要もない。
自分は病院や介護の現場に少しいたことがあります。初任者(ヘルパー2級)の資格を持っていますが今はその仕事には就いていません。
わざわざ経験に基づく自信をつけてもらったり、意識づけた行動を自分がしなくても、ばあばにそういう促しをしなくてもできることはできるしやりたくないことはやらない。
何ならやりすぎちゃう人なので、一回これはできないと理解してくれと思うこともあるぐらいなので、
我が家の場合は「やってみ?」っていう自分の学んだことと真逆のことをしないと怪我や事故の元になっています。
結果、こけて入院とかしてるんだからそろそろわかってね!とは思っています。
まだ過程でいったら否認の家庭なので過保護にできない現状は家族の中で共通認識です。
その中で新しい手法を生み出すあたり、やっぱりばあばちゃんはすげえや!って気づきの連続です。
圧倒的に年齢をハイスピードで重ねた気がするのはコロナ禍で会える時間が減ったからだと思うけど、感情的になる時間がなくなったからほっこり時間が増えた。
今まで毎日会っていた環境が、週に1回になり、コロナ禍になって何ヶ月も会えないというように変わっていった。
その中でばあばは急におばあちゃんらしくなったなと思う気持ちと同時に労る気持ちが生まれたり、
たまに口喧嘩してた過去があるぐらい濃密な時間を毎日過ごしてきたから気づけなかったことに気づけたり、
会っている時間、一緒にいる時間を全てばあば基準で考えて行動に移せるようになった。
結果、全員が穏やかに過ごせているので結果としてはいいのか悪いのかわからないけど、家族関係は良好だと思います。
長生きしてねっていう家族の気持ちを言葉にしない。祖母のそろそろしにたいという気持ちも言動で否定しない。あるがまま生きてほしいとぼくは思う。
90年以上、生きてきて祖父を失ってから20年以上駆け抜けてきている祖母は純粋にすごいと思う。
祖父以外にもきょうだいや友達を失っている祖母の人生のしんどさ、悲しさはぼくは理解ができない。
たまにもう死にたいと言っても、肯定も否定もしなようにしています。
長生きしてねとも、言わないようにしています。
でも家族の想いはそりゃ長生きしてほしい、ずっと元気でいてほしい。
だからそうなるようにパスを出したり、栄養つけてもらったり、元気でいれるように促しているところはあります。
一緒におやつ食べて美味しいねとかそういう時間はぼくは大事です。
祖母が嬉しいとか楽しいと思ってくれてたらいいなと思いながら美味しいねが返ってくる休日が幸せでした。
自分の時間大事にしなよって言われる傾向にありますが、
自分は祖母と過ごしたいから自分の時間を超大事にしているので安心してください。
自分のやりたいことができる休日は幸せそのもの、カンザキでした。