誰しもにされて嫌だった記憶はあるものです。
誰しもが苦手なこと、嫌なこと、避けたいことはある。
その中で道徳的に外れたことで傷つけられた、トラウマを植え付けられた側と植え付けた、傷つけた側の違いの話を聞いて納得した時のことを書いてみたいと思いました。
あまり人と深い関わりを持ちたくない人です。
定期的にそっとしておいて欲しくなるぼっち
カンザキサツキです。
自分は恋愛抜きに誰かと共に生きる、深く付き合うことを断念した人ですが、そうなった背景はしっかりあります。
それを人は時にトラウマとかPTSDというのかもしれません。
それでも構わないけど、自分が傷付かず無理せず自分らしく生きることを選んだので否定も肯定も他人にしてもらう必要はありません。
そこまでの過程は、感情論で頑張ってみたり努力してみたりもありました。
その結果、負けをしっかり努力した後に認めて自分が自分らしく生きるために自分のためにさくさく生きるを選んだのが今です。
過去の記事にも婚活やがんばってみたことは書いてると思います。
友人関係でも、家族関係でもある程度の距離感を保って自律して生きていくことを選びました。
ふと何かの話の流れで不倫された、不倫した側の話を聞いてスッと自分も入り込んできた事はした側は今目の前、された側は一生という言葉。
傷つけた側はその人を傷つけたで完結する。
最悪の状況であっても、その人へ慰謝料などを払ったりする必要がある。
その人ひとりだったり、家庭があって子供がいたら自分の子供、狭い世界での話で解決する。
しかしされた側はどうでしょう?信じる気持ちを失ったり同じことになることが怖くて
その先に踏み出せなかったりするわけです。
また不倫されるんじゃないかとか、暴力振るわれるんじゃないかとか、騙されるんじゃないかとか
経験に基づく疑念で済ませれない根っこに植わってる何かはされた側にはしっかりある。
そしてそれに対して立ち直れと安易に言われることがされた側、被害を被った側は非常にあると思うのです。
それは立ち直ったそぶりを見せるまでずっと続くのです。
立ち直ってなくても立ち直った様子になるまで続きます。
立ち直れる人もいるけど、そうじゃない人もたくさんいる。
そうじゃない人は、多分一生なんだと思うし、突然おかえり!って古傷が痛い時がやってくるかもしれない。
だから無理しないで自分の心に素直に生きたらいいと思う。
自分の場合は、誰とも生きない、深く関わらないことで自分を守っている傾向にあるようです。
深く人と付き合わないから冷たいとか、感情ある?とか言われることも多々ありますが傷つくのが怖いのと
もうこれ以上自分で這い上がれる気がしないので自己防衛でもありますので、そういうわけじゃないけどそっとしておいてほしい旨をお伝えすることもあります。
友達は大事。でも深入りはできないし、しない。
誰かや何かを自分は無責任に背追い込む事はできないし、自分がされて嫌なことはしない。
トラウマを植え付けた側はのうのうと生きてるのをたまに垣間見ます。
見かけないように物理的にブロック的なことをしても見かけてしまう事だってあります。
そういう人やモノは懲りずになのか解らずになのか自覚なくなのか何もわかりませんがフットワークが軽く生きているのだと理解します。
その度に恨みや辛みは沸きませんが悲しくて辛かった事は鮮明に蘇ってリセットされ続けます。
それはぼくが弱いからなのか、自問自答で済まさないと、
またいい加減に立ち直れよと怒られたりするのでこのブログだけに残してそっとおいておくことは自分でお金を払ってやってるブログだからいいと思うようにしたい。
だいたいそういう人やモノは、傷つけた自覚なく定期的にやってくる。
のうのうと生きてたり、無下にしたことは必ずいつか自分に返ってくると思って完結して人を恨まないように生きることを貫いていこうと思うカンザキでした。