祖父が亡くなって、20年以上たつ。
今でも覚えているのは、末期癌で苦しんでいるのにいつも僕たちに優しかったこと。
あと、当時あんこが食べれなかった自分がじいちゃんの作ってくれたおぜんざいさんであんこが好きになったこと。
長生きして欲しかった。
母ちゃんが祖父の年齢に近づくにつれ心配も増すこの頃です。
じいちゃんが初代の山のお家の3代目
長男でも長女でもない自分が家を継ぐのは我が家のルール的に異例ですが根性と積み重ねてきた実績で継ぎます。
カンザキサツキです。
コロナ禍までは、家族で墓参りをしていました。それはそれは自分にとって大切な時間です。
とはいえ自分は大阪に帰ってきてからの話ですが、命日が近い土日は墓参りに行き、
前の仕事の時は休みを取得するようにしていました。
もう20年以上経つので、祖父が好きだったものをお供えして、家族で墓参りしてぐらいです。
寒い時期なのでゴシゴシ墓を磨くことは最近しなくても何も言われなくなりましたが、
高校生の頃は祖母の言う通り磨き上げサービスっていいながら磨いてました。
あとは仏壇の掃除をする日でもあります。
そういう当たり前もコロナは奪い去っていきました。悲しいです。
母が祖父を失った年齢にぼくは近づいた。母は祖父の年齢に近づいた。早いものです。
そう思うと、母と過ごせる時間はどれぐらいあるのだろうと思い不安になる時がある。
不安に思ってても仕方ないのだけど、やっぱり気にかけるようになった。
若々しい人だけど、若くないのだから仕方ないし心配にもなる。
この年代で親を失う母の気持ちが、わかるようでわからない。
子供ながらに覚えているのは「良い」と言われた民間療法でもなんでも試すべく駆け回っていたことを覚えています。
なんたらワクチンとかいう名前だったことはふんわり覚えてる。
今でいう最新医療だったのかなんなのか子供だった自分はわからないんだけど、今自分が母ちゃんと同じ状況になったら縋るだろうか。
祖父には病気の告知をしていなかったから、なんでもしたかったのかもしれないけど、
ぼくは優しくないから告知した上でどうしたいか聞いてもしいい治療を受けたい希望があればそうしてあげたいと思う。
そんなことをより一層考える節目の日だったりする。やっぱり墓参りはみんなで行きたいから平常時に戻ってほしい。
基本、我が家は賑やかだ。
誰と誰が話してるかわからないぐらい賑やかだ。
ぼくは静かだけど、家族がすごく賑やかだ。それが心地よくなかったり、心地よかったりする。
早くそうできる毎日に戻ってほしいし、ギャーギャー言いながら墓参りをしたい。
我が家は賑やかでびっくりするぐらい明るい。
祖父が亡くなった時だけすごく本当に静かだったし、自分が必死にふざけて笑わせにかかってたぐらいだった。
だからこそ、きっと祖父も静かな我が家を望んでないと思います。
今年も叶わないけど、せっかくの休みの今日と明日は、母と二人になると思いますが祖父のために何か好きなものを供えて昔話をしようと思います。
ばあばは、体調があんまり良くなくてそれどころじゃないかもしれないけど、
元気になったら一緒にお墓参りに行こうねって言っておこうと思います。
大好きだよ、おじいちゃん。明日の命日はしんみりしちゃいそうなので前日のブログに記してみました。