今日は生きていたら17回目のお誕生日だった、虎太郎の誕生日です。
昨年の5月17日が最期のお誕生日になりました。
もっと祝ってあげたらよかったなとか、もっともっとこうしてあげてたらと思うことはなるべくやめたいけどすぐポンポンと沸いてきます。
本当に自分は、本格的な介護生活が始まるまで仕事で遅くなる日も多く、
休日に遊びに行ってしまうこともあったり、もっともっとばかり思う日々を過ごしています。
一人で暮らしてたのによくお世話してたよとか言ってくれたりする人もいるけど、
自分は不本意の極みの後悔の人生であります。
カンザキサツキです。
「たら」「れば」の話をしたらキリも無いし、他の犬と比べてしまうのも良くない。虎太郎は虎太郎だ。
自分は若い頃、親は選べないんだよなー・・・と良く思ってました。
両親離婚してる家だし、母ちゃんが必死で育ててくれてるのをしんどいと感じて飛び出した人生です。
だからこそ、虎太郎は自分じゃなくて他の人が飼い主だったらもっといい人生だったんじゃ無いかと思うのかもしれません。
家族からは、虎太郎は自分がいなくなると追いかけたり探したり震えたりしてたよと言われても
それを自分は見てなくて、お迎えに行くと思いっきり怒られて噛まれたりもした。
思えばすごく犬らしくなくて、感情豊かだったんだなと思いますが、やっぱり寂しい思いをたくさんさせてしまった後悔だけはどう頑張っても消えない。
ただこれだけは言える。
虎太郎がもし、不幸だと思っててもごめんな、親は選べないんだ。
残念ながら夢に出てくることもないし、涙をこぼすことも自分は相変わらずない。でも寂しい気持ちはある。
きっと虎太郎は、大好きな山の家で、大好きな犬達の隣でおとなしく眠っていると思います。
虎太郎は犬が好きでしたが他の我が家の犬達は残念ながら犬嫌いだったりして仲良くしてもらえなかった経験ばかりです。
だからこそ、今近くで寄り添っていれてるのかもしれないと思うとちょっと救われます。
でも、ミントやレオやチップは嫌かもしれません。
残念ながらすぐ遺品は整理して、寄付したり売ってそれを寄付に当てたり処分したりしてしまったので名残ない生活になってますが
そういう母ちゃんでも寂しい気持ちはあるけど、よく嫌なことがあったり悲しいことがあったら泣いている間ずっと寄り添ってくれていた虎太郎がいなくなってから涙をこぼすことがなくなりました。
もちろん虎太郎のことで泣くことはありません。
実感がないのか、火葬前に泣いたことで納得したのかわからないけどあの日以来強く生きてるようです。
虎太郎が死んだ時以上に悲しいことがない。
それぐらい君は母ちゃんにとって特別な存在でした。
2キロちょっとの気の強いチワワが教えてくれて育ててくれた母ちゃんは今強く生きてます。ありがとう。幸せでした。
虎太郎がいたから、成長できたし虎太郎に噛まれた傷跡は残っているものもありますが、
物理的にも精神的にも鍛えられたと思います。
本当に優しく、わがままで、優しく、頑固で、気丈な犬でした。
そういう姿を少し後ろからいつも見ていて、一番近くで見ていて、母ちゃんにさせてもらって強くなれたと思います。
2キロちょっとの本当に小さな犬でした。
心臓が弱くて、食の細い犬でした。でも手のかからない子でした。
そんな虎太郎を産んでくれた虎太郎ママとパパ、虎太郎と一緒に生まれたきょうだい達にもありがとうの気持ちです。
17回目のお誕生日おめでとう。
5月17日は、母ちゃんにとって特別な日です。
大好きだよ、虎太郎。
もちろん8月13日のミントのお誕生日だって特別な日です。
生まれてきてくれて、奇跡的なのか必然だったのかわからないけど、出会ってくれてありがとう。
一緒に暮らしてくれてありがとう。
毎日いつも写真を撮ってるとこたはため息をついてたけど、母ちゃんは毎日写真を見て今でも幸せな気持ちでいっぱいです。