サツログ。

独身こじらせ干物でオタク、社畜の狭間で撮られることを仕事にしながら田舎暮らしの夢見人、カンザキサツキ(颯希)の日々徒然とひとり人生の歩み。

ぼくが捨てれないもの、山の家の車庫にあった。夏こそは・・・と思います。

愛犬が亡くなってすぐ、かわいそうだから早くした方がいいと言われすぐ火葬した。

夜中になくなって、昼前にはお骨になっていた。

夕方には母と叔母の協力もあってだいぶと片付けて、すぐ処分は進んだ。

 

それは虎太郎にとってなんかかわいそうなことしたなと思ったりもしたけど、

この春、そうしないといけなかったんだなと自分自身で気づいた。

母と叔母にありがとうと改めて伝えて、こたの墓前にごめんね、って言っておいた。

カンザキサツキです。

 

正直、愛犬が亡くなってから無で生きてます。喜怒哀楽が欠落したままです。

空元気である自覚はこの1年近くずっとあります。何をするにしても気合を入れないと動けない。

時間の経過がおかしく感じたり、時間を無駄に過ごしてることが多い。

今までしなかったようなミスをしたりもする。それでも生きていかなきゃいけないし、

弱音を吐いたらつけ込んでくる人がまたいると思うので絶対言わない。家族にも言ってない。

 

それでも生きていかないといけない。普段通り、通常営業しないといけない。義務だと思ってる。

義務だから、笑って生きていかねばならないのです。

 

山の家(別荘)に秋にも帰ったけど車庫の整理まで出来なかったから、春に帰って車庫を開けて膝から崩れるような感覚になった。

山の家は、自分のもの、誰かのもの、触られたくないものは箱に入れてまとめる。

犬のものっていうまとまりはあるけど、虎太郎のものだけはこうやって置いている。

それは他の犬たちと違って圧倒的チワワなのに基本的に外にいて、玄関と庭が居場所だったから

帰ってすぐ玄関と庭に虎太郎の簡易ハウスを作る必要があるからです。

 

多分、自分がずっと外にいるからだとも思います。

あと飼い主に似なくていいのにこだわりも強かったので、タオルやお皿も大阪から持って行っても山の家で使うのは決まったものじゃないとダメでした。

 

その物たちを入れていた箱、箱の中身を捨てることができませんでした。

 

ああ、大阪の家で自分が当日中にまとめて処分始めてなかったらこうなっていたのか・・・とこの時気づきました。

 

できれば捨てるという処分方法はなるべくしたくないけど、虎太郎が生きてきたことを繋いでおく言い訳は違うと言い聞かせたい。

本心をいえば、お骨を残しておきたかった。

でも分骨なんかしたらかわいそうだとおもう。バラバラで一部だけずっと留まらせるのは飼い主のエゴでしかない。

自然が好きだった愛犬と、自然が大好きな自分の共通点は山の家が好きで誰かに縛られたり強要されることが嫌い。

 

遺品というものはほとんど残っていない。一緒に火葬し忘れたぬいぐるみは残ってしまったけど、

元々自分のぬいぐるみだったものを虎太郎が勝手に自分のものにしてしまったから仕方ない。

なんか理由があって我が家に残ったのだと思う。

 

この箱の中にあるのは、こたがくつろいでた改装中に余った床板たちと

寒い時期に使っていた湯たんぽ

ぼくの使い古したバスタオルやタオル

タオルでいつも隠してたお皿

 

あと、ボロボロの自分の汚い字と絵が描かれた段ボール箱。

 

次に帰る夏に、自分できちんと処分したいと思います。

誰かに任せるのは、飼い主として無責任だと思うのです。

 

なので、夏こそはと思っています。

 

幸いにも夏は親戚が遊びにくるから賑やかになる予定です。

賑やかで楽しい時間が多ければ重たい心も軽くなるかもしれないし、

落ち込んだら一緒にお酒を飲んでくれる親戚がいる。きっと大丈夫。

 

きちんと、最期まで看るという飼い主の義務はここまでなんだなと

間も無く愛犬が亡くなって1年経つ頃に思いました。

 

虎太郎に代わるものは何もない。どれだけ探しても、ない。

その気持ちを捨て去ることはないけど、ちゃんと飼い主の義務を果たして自分はこれからも虎太郎と生きていこうと思うカンザキでした。

 

今年の夏もとても暑いですよ、虎太郎さん。

去年より暑くて母ちゃんびっくりしてるよ、こた。

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