おじいちゃんが亡くなるまで、あまりお盆っていうのは馴染みがなくて、
地域の地蔵盆に行けばお菓子がもらえたり、盆踊りに行くとジュース飲み放題でお菓子がもらえたりぐらいでした。
祖父が亡くなってから、迎え火ができるのは山の家と今のばあばの家じゃなくてまだばあばが団地に住んでいた時に同じ建物の方達と一緒に迎え火をしたぐらい。
あと知らない人しかいないお墓をお参りするぐらい。
父親方の家と、母ちゃんの家でもじいじちゃん側とばあばちゃん側とでなんかお参りスタイルが違うのなんでだろう?ぐらいの人間でした。
宗教の信仰もなければ、見えてるものすら信じがたい人だけどじいちゃんのことは信じてる。
カンザキサツキです。
祖母が施設に入る前は、祖母仕切りのお盆だった。毎日、山の家のご馳走が出た。
祖父母共に岡山の山間部の出身です。
今の自分達の山の家から山を登り切ったら祖父の生家があり、山を降れば祖母の生家があります。
どちらにせよ山間部の極みなので、魚は川魚の鮎やアマゴを食べるぐらいで基本的に野菜ばかりです。
そのベースで生きてきたし、生活をしてきたので基本的に我が家は野菜ばかりの食卓で煮物が多いです。
お盆もお彼岸もご馳走と言ったらおはぎ。
あと高野豆腐と干し椎茸を一緒に炊いたやつとか、干瓢を炊いたやつとか、
冬瓜を炊いたやつとか、かぼちゃを炊いたやつとか、ちらし寿司。
山の家では御馳走ばかりです。
そんなご馳走が大好物の自分は、祖父が亡くなった後のお盆のご馳走が楽しみでした。
食べるのはもちろんですが、ばあばと一緒に作るのが楽しかった。
そしてばあばの味が美味しかった。わいわいしてる時間が楽しかった。
そういう祖母仕切りのお盆が、大好きです。
祖母が施設に入った後もお盆は家に帰ってきて同じことをしてましたが、今年は入院中なのでどうすることもできなかったけど、どうしても賑やかにしたかった。
自分は、そういう家族の時間を17歳を最後に家を出てしまっていたので大人になって大切なんだなとか、大好きだったことに気づきました。
でも気づいた時にはもう祖母が仕切れないわけです。入院中ですから・・・。
そしていつか祖母がいなくなってしまうけど、今やらなきゃきっとこの後続かないし自分も続けていけなくなりそうな焦りがありました。
母に声をかけて一緒に15日のお盆の終わりをやろうということになり、煮物とかは母に任せ(自分も一応作れますけどね・・・)
自分は用事があるから!と言い放ち朝から買い物に行きました。
結果、このようにTHE大阪のおばちゃんの都会帰りみたいな買い物になりましたが、
祖父の仏壇に煮物やおそうめんと一緒にお供えしてワイワイやりました。
母が声をかけてくれて近所にいる母の妹とその孫が来てくれたので4人でわいわいと。
故人を偲ぶとかいうのは、我が家にはふさわしくないです。
うちは、生きている人優先です。
そして悲しんでいるのは、きっとじいちゃんが心配します。
なので明るく楽しくわいわいと笑い声が溢れるお盆がいいなーと改めて思います。
今までは意識しなくても祖母がそうしてくれてた、そして祖母がいろいろなことを口酸っぱく躾と共に知識や知恵をたくさんくれた。
自分には子供はいないし、伴侶もいないから、自分の代で終わるかもしれないけど
それでもこのスタイルを受け継いでいきたいなと思います。
そりゃ今でもおじいちゃんが生きてたらな・・・と思うことはありますが、
そんなの思ってても帰ってこないですからね。
だったら楽しく生きてる、笑って生きてることをお盆だったりお彼岸だったり、命日だったり、生まれた日ありがとうの日だったりする折々でお知らせしていった方がいいかな?とぼくは思うわけです。
きっとそうした方がいいように思わせてくれたのは祖母の影響が大きいです。
お盆はしんみりより、和気藹々がいいなと思うカンザキでした。
我が家ではぼくが決めた故人(犬含む)の生まれた日は、
生まれた日おめでとうありがとうの日です。